責任は日テレに

いろんな方面から物議を醸しだしている日テレのドラマ「明日、ママがいない」、こんな騒ぎの中で第3話まで放送された。自分は第1話を観て、以降は辞めてしまった。理由は芦田愛菜の演技だけが浮いてしまっていたから。あんな非の打ちどころのない芝居をされたら、引き込まれるどころかまったく子供らしさを感じない。何かシラケてしまったのだ。その際にかみさんが、「これって熊本のあの病院をモデルにしてるんでしょ? フィクションになってないし」と怪訝な顔で言ったひとことが、偶然にも翌日のNET記事に掲載されて、以後大騒ぎとなった。病院側は改善要求をする、日テレ側は最後まで観てくれという、スポンサーは全社CMを自粛、どっかのクリニック院長がスポンサーにとしゃしゃり出る、日テレは改善を検討・・・というのがこれまでの流れだ。途中に何人かのタレントがコメントを寄せているが、その中で佐藤弘道氏のコメントが一番的を得ていると思った。「人それぞれの捉え方があって当たり前」。一方的に放送している以上、観るか観ないかは本人の自由だし、観た人がどう感じようがそれも自由だと思う。問題が起きそうだと判断したら、子供に視聴させるのを検討するのが親の役目というもの(もともとそんな時間に視聴させること自体が問題かもしれないが)。自分が視聴を辞めたのも「捉え方」のひとつだろう。

スポンサーもいい迷惑を被ったものだ。競合する企業が多いだけに、消費者にソッポを向かれれば存亡の危機に関わる。ゴールデンのCM枠がどのくらいの金額になるかわからないが、それよりも世間の評判を重んじた企業にとっては苦渋の決断だっただろうし、対応の悪い日テレにやりきれない思いを感じているに違いない。

これだけ大事になったのは、やはり日テレに問題があるように思う。実在する病院に対して十分な配慮を怠り、こういう騒ぎになることが前もってわかっていたとすれば相当な確信犯だ。毎夏あの24時間テレビをブチ上げるテレビ局が、なぜ事前に対応しなかったのかという大きな疑問が残る。言うまでもなく、毎年弱者や障害者を引っ張り出し、実話に盛れるだけ盛ってお涙頂戴の「ドキュメンタリー」作品に仕上げる。いやしくも「福祉」という大命題を打ち出しているテレビ局がやることではないと思うのだ。エンターテイメント化されてしまっているから、上っ面しか福祉を見ていないから、こういう問題が起きる。どうしても放送したければ、映画やCSで興味のある人だけを対象にすればいいだけの話。

もともと日テレには良い印象を持っていないから多少は偏見だと捉えられるかもしれないが、デリケートなジャンルを扱うのならば、それなりの準備と心構えが必要ではないかと思った。役者や脚本家ばかりに気を遣うと、肝心なものを見失ってしまう典型ではないか。


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