歌が歌えない
4月28日にライブを行うことは、すでにブログで既述していますが、予定しているうちの1曲が、どうにも歌いこなせないでいます。グレープの「フレディもしくは三教街」がそれ。フルコーラスで7分ほどの長い曲なのですが、途中で集中力が途切れてしまい、最後まで歌うことが出来ません。それに加えて歌詞に反応してしまい、自分の気持ちの奥底の方が強く震えてしまって、歌えないというか言葉にならないというか…。何度か歌ったことはあるのですが、こんなことは初めてです。
ストーリーは、1930年代中国本土・漢口で知り合った主人公と恋人フレディとの恋物語。しかし、大日本帝国軍の猛爆でフレディが命を落とし、その後主人公が大切な想い出を紐解いていく・・・静かに反戦を訴えた歌です。好き・歌いたい、でも、歌えない… これは相当に苦しいです。
「リズムがつかめない」「音程が外れる」とは、かなり異質なもののようです。テクニックとしての感情移入ではなく、何かこう「今の自分の状態との酷似」みたいなものがあるのでしょうか。
ソロで歌う曲なので、先日のスタジオでの練習の際は歌いませんでした。差し替えても「てまえみそ」に演目は伝えていないし、リッキーにも迷惑はかからないはず。でも、それで済ませていいのかなぁ。やはり「不安神経症」が、ここでも悪さをしているんでしょうか。
「曲を変更するかもしれない」とリッキーに伝えたところ、「実はオレも」という思いがけない返事が。彼は「テルーの唄」を予定しているのですが、冒頭部分の歌詞
「夕暮れ迫る空の上 いつも独人で飛んでいる 鷹はきっと哀しかろう」
が、辛くて歌えないというのです。「何かのトラウマを抱えちゃってるのかな」と笑っていましたが、多忙な生活とのオーバーラップかもしれません。
自分が歌いたい歌、伝えたいメッセージの有無で演目を決めていきます。その中で実際に歌ってみて、それを十分に伝えられないと判断した時は、残念ですがそれを諦めることにしています。中途半端に歌えば、その歌に関わったアーティストたちに失礼だからです。今回の躓きは少しだけ意味合いが違うかもしれませんが、自分で納得出来なければ、やはり歌うことは出来ません。病気の影響なのか否かはわかりませんが、初めての出来事だけに、戸惑いのあることは正直なところです。悔しい。
ストーリーは、1930年代中国本土・漢口で知り合った主人公と恋人フレディとの恋物語。しかし、大日本帝国軍の猛爆でフレディが命を落とし、その後主人公が大切な想い出を紐解いていく・・・静かに反戦を訴えた歌です。好き・歌いたい、でも、歌えない… これは相当に苦しいです。
「リズムがつかめない」「音程が外れる」とは、かなり異質なもののようです。テクニックとしての感情移入ではなく、何かこう「今の自分の状態との酷似」みたいなものがあるのでしょうか。
ソロで歌う曲なので、先日のスタジオでの練習の際は歌いませんでした。差し替えても「てまえみそ」に演目は伝えていないし、リッキーにも迷惑はかからないはず。でも、それで済ませていいのかなぁ。やはり「不安神経症」が、ここでも悪さをしているんでしょうか。
「曲を変更するかもしれない」とリッキーに伝えたところ、「実はオレも」という思いがけない返事が。彼は「テルーの唄」を予定しているのですが、冒頭部分の歌詞
「夕暮れ迫る空の上 いつも独人で飛んでいる 鷹はきっと哀しかろう」
が、辛くて歌えないというのです。「何かのトラウマを抱えちゃってるのかな」と笑っていましたが、多忙な生活とのオーバーラップかもしれません。
自分が歌いたい歌、伝えたいメッセージの有無で演目を決めていきます。その中で実際に歌ってみて、それを十分に伝えられないと判断した時は、残念ですがそれを諦めることにしています。中途半端に歌えば、その歌に関わったアーティストたちに失礼だからです。今回の躓きは少しだけ意味合いが違うかもしれませんが、自分で納得出来なければ、やはり歌うことは出来ません。病気の影響なのか否かはわかりませんが、初めての出来事だけに、戸惑いのあることは正直なところです。悔しい。