巨人・木村拓也コーチが亡くなりました

 巨人・木村拓也コーチが、今日未明息を引き取りました。37歳、あまりにも突然で、そして早過ぎる死でした。4月2日試合前のノックの最中に突然倒れ、広島市内の病院に搬送後「くも膜下出血」と診断されて治療を続けていました。倒れた時点ですでに最悪の状態だったと球団代表がコメントしていました。

 木村コーチは2006年に広島から巨人へ移籍、家族は慣れ親しんだ広島に置き、単身赴任で活躍を続けてきました。倒れた当日、地元広島での試合に臨むため帰郷。チームより一足早く広島入りして、家族との時間を過ごしたのだそうです。その数時間後、まさかこんな悲劇が起きようとは誰が想像したでしょうか。

 自分は特別木村コーチのファンではありませんでした。ただ、インタビューの時はいつでも笑顔を絶やさず、チームメイトを掴まえては構ったり冷やかしたり茶目っ気たっぷりな人柄で好きな選手のひとり・・・その程度でした。土曜日朝の情報番組で、元巨人の宮本投手が木村コーチの自宅へ訪問した際、「その部屋は絶対ダメ!!」と言いながら結局全ての部屋を公開し、奥様やお子さんと楽しそうにしている姿が印象的でした。
 
 そんな自分をファンに変えてしまった出来事がありました。昨年9月延長戦でキャッチャーを使い果たしてしまった巨人、次の回の守備にマスクを被って飛び出してきたのが木村コーチでした。場内放送の後、どよめきと大歓声が彼に贈られました。キャッチャーは特別なポジションです。相手チームの作戦とバッターのクセを見抜き、野手に指示を与え、そして時速140キロ以上の速球を目の前で振られるバットに臆することなく捕球しなくてはなりません。でも、木村コーチは見事なミット捌きで無得点に抑えました。守備に就いた時以上の大歓声に迎えられ、原監督からも背中をポンポンと叩かれて最大級の賞賛を受けました。自分はこの場面を観ていて、決して派手なプレーではないけれど、ある意味命を張ってチームに土が付くのを回避した姿に感動しました。久しぶりにプロ野球を観て泣きました。後日談で「何が何だか分からなかったけど、逆球を捕れた時はウワ~ッ、よかった~って思いましたよ。ファンの応援てありがたいですね」と飄々と話す木村コーチ。これもまた彼の人柄だったのでしょう。

 そして、シーズンオフに突然の引退。「まだまだやれるのにどうして?」、誰もがそう思ったに違いありません。いや、本人だってそう思っていたかもしれません。一昨年ほど前から育成選手の一軍登録が続き、力のあるレギュラー組との相乗効果でついに悲願の日本一になった昨年、彼は若手に活躍の場を譲るために指導者としての道を選択しました。数日後の記者会見では、「選手として野球をやらなくていいんだというホッとした気持ちです」と爽やかな表情で言い切り、自身の決断に納得したとても潔い場面でした。

 内野守備走塁コーチは、機動力の有無が問われる重要なポストです。選手ではベテランでも、教える立場としては初心者。「先ずは監督と選手のパイプ役になります」、キャンプ地でそう言っていましたが、慕われる人柄ゆえすでにオープン戦が始まる頃には、すっかり選手たちから「拓さん、拓さん」と呼ばれていました。開幕戦のベンチでもハツラツとした姿を見せていたのに・・・。

 病気が見つかり、闘病生活の果てに力尽きるのとはまったく違います。何の前触れも無く突然倒れ、家族や周囲の人たちにひとことも語りかけることなく逝ってしまう。これをどう受け入れたらいいのでしょうか。会社で訃報を聞き、「くも膜下出血」を得意そうに説明していた同僚には怒りさえ覚えました。

 「タク、世界一ノックの上手いコーチになろう」
今日会見した原監督の言葉が、いつまでも心から離れません。8日後には38歳の誕生日を迎えるはずでした。

心からご冥福をお祈り致します。
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