また書いちゃいました

12月2日付「Yahoo!」ニュースに掲載されていた記事より―

 「障害者」という言葉にマイナスのイメージがあるとして、大阪府吹田市が市の文書などに新しい言葉を使う方針を打ち出し、波紋が広がっている。内閣府によると、「害」の字を避けて「障がい者」と表記する自治体は5年ほど前から増えているが、表現そのものを見直す試みは異例。「障害者と呼ばれるのは嫌ではない」といった声もあり、専門家は「行政の押しつけにならないようにすべきだ」と指摘している。

 障害者の「害」はもとは「さまたげ」を意味する「礙・碍」だが、当用漢字でないため「障害者」が使われるようになった。平成16年ごろから「障がい者」と表記する動きが広がり、20年度で10都道府県・5政令市(内閣府調べ)。市町村を含めるとさらに増える。吹田市も「障がい者」と表記してきたが、「『障害』は個人ではなく社会に存在する」として新しい表現を検討することに。10~11月に公募したところ、「愛」や「友」の字を用いるなどした45件の応募があった。一方で、「私は障害者だが気にしていない」「言葉狩りではないか」など市の方針に反対する意見も複数寄せられたという。

 吹田市身体障害者福祉会の小西清会長(87)は「言葉を替えても体は良くならないのに、意味があるのか」と市の方針に疑問を投げかける。障害者や家族からは「障害者問題を考えるきっかけになれば」と期待する声も上がるが、「言葉を替えても偏見はなくならない」「言葉よりも先に障害児教育の施策を充実させてほしい」など、抵抗や反発も根強い。
 吹田市は「難しい問題であることは承知しており、いろいろな意見を参考にしたい」としている。市民からの応募をもとに、学識者や公募委員による検討委員会を経て、来春までに新しい表現を決める方針。

 峰島厚・立命館大教授(障害者福祉論)は「『障害者』の表現は当事者の間でも賛否が分かれるが、行政の押しつけではなく、障害者たちが自由に選択できるようにすべきだ。単に言葉を替えるだけではなく、障害者の実態を市民に啓蒙することが重要だ」としている。


 このところ障害者用駐車スペースについて苦い思いを味わったので、この記事に遭遇したことでやはり書かなくては・・・と思いました。世の中には障害を背負うに至った様々な事情をお持ちの方がいらっしゃいます。生まれながらに背負われた方、もの心ついてから事故や疾病によって背負われた方。その障害をすべて受け入れている方、そうではない方。前向きな方、人前に出るのが苦手な方。障害の状況や生活されている環境なども含めると、ひとりひとりがそれぞれの考えや意見を持たれていると思いますので、下述の記事はオヤヂ個人としての考えをまとめたものとして読んで下さると幸いです。

 世間では「健常者」「身体障害者」という表現が使われて久しい。行政も施策や公式な行事等でごく普通に用いているし、自分も当たり前のように受け止めてきた。立場の区分けをし、物事を円滑に進めるための呼び方だと思ってきた。「肉が好きな人」「野菜が好きな人」のように。ただ、ここ数年で障害者の「害」の字が「がい」と表記されることが多くなり、少しばかり戸惑いを覚えている。

 平仮名にしたところでどれほどの意味があるのか。確かに漢字ならばどんな事柄なのかは一目で判断が出来る。「害」は相応しくないから平仮名にして視覚からの情報をあやふやにすれば、今流行のバリアフリーになるとでも考えたのだろうか。ならば「障」はいいのか? 意味合いからすれば、これだって同じ部類に入るのでは? それに耳から入ってくる響きは「しょうがいしゃ」に変わりはないではないか。既述の「立場の区分け」という考えで暮らしてきた自分にとって、このような配慮こそが実は障害者本人に余計な考えを持たせ、わざわざ新たな差別化を生んでいるように感じるのだ。

 大阪府吹田市で、今度は障害者の表現そのものを変えようという方針を打ち出した。理由は「障害者という言葉にマイナスのイメージがある」からだそうだ。おいおい、どうしてそう決めつけるの? とっかかりからすでに偏見が始まってるじゃないか。そんな状態からスタートしても、新しいものを生み出すことが出来るのだろうか。「『障害』は個人ではなく社会に存在する」なんて訳の分からないことを言っていないで、傷口が広がって手遅れにならないうちに、もう一度足元をしっかりと見て欲しい。

 障害者が少しでも身体的な負担を減らせるようにと、様々な法律や施策がとられている。暮らしの中で自身が利用したい制度を選択した時、今の時代ではそれが思うように適わないことがある。その一例が先日記事にした身障者駐車スペースだ。黄色い車いすマークの上で堂々と商売をし、クレームをつければ営業妨害と言われ、挙句管理者の連絡先を頑なに教えないという有様。健常者も誰も気付かず、当たり前のように商品を買っていく。「これはおかしい!」という声が自然発生的に上がるような啓蒙活動を展開した方が、実のある成果につながるのではないだろうか。同じ障害者でさえ自身の状態を把握して、車いすのドライバーのためにスペースを空けているのに、なぜ健常者にそれが出来ないのだろう。小学校時代から道徳の授業で身に付けたことが、年齢が上がるに従って風化していくのはどうしてだろう。行政はそこからスタートすべきだと思う。

 「10~11月に公募したところ、「愛」や「友」の字を用いるなどした45件の応募があった」とあるが、本当に募集をしてしまったことに愕然とした。「愛」だ「友」だなんて政権交代した政党の回し者みたいな表現を使われたら、自分だったらどんな反応をしてしまうだろう。「差別されてます」と大きな看板を背負って歩いているのと変わらないからだ。役所は来年度からスタートしたい考えのようだが、今からでもぜひ考えを改めて欲しい。結果次第では大きな騒ぎになるかもしれない。ただもっと怖いのは、決定したことに誰も何も言わないでスルーされてしまうことだ。

 そんな時に今日、またこんなニュースが飛び込んできた。

 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長(50)が自身のブログ(日記形式のホームページ)に「高度医療が障害者を生き残らせている」などと、障害者の出生を否定するような独自の主張を展開している。障害者団体は反発、市議会でも追及の動きが出るなど波紋が広がっている。

 ブログは11月8日付。深刻化する医師不足への対応策として、勤務医の給料を引き上げるべきだとの議論に対し、「医者業界の金持ちが増えるだけのこと。医者を大量生産してしまえば問題は解決する。全(すべ)ての医者に最高度の技術を求める必要はない」と批判。 そして、「高度な医療技術のおかげ」で機能障害を持ち、昔の医療環境であれば生存が難しい障害児を「生き残らせている」などと述べ、「『生まれる事は喜びで、死は忌むべき事』というのは間違いだ」と主張している。

 知的障害者の家族でつくる「全日本手をつなぐ育成会」(本部・東京、約30万人)の大久保常明・常務理事は「人類繁栄のため、優れた子孫だけを残そうとするかつての優生思想そのもの。命の重さを踏みにじり、公人の意見とは思えない」と批判。
阿久根市身体障害者協会(約1050人)の桑原祐示会長も「差別意識も甚だしい」と反発、役員会で対応を協議し始めた。

 同市議会の木下孝行市議も市長に説明と謝罪を求め、14日から始まる市議会一般質問で追及する。
竹原市長は取材に対し、「養護学校に勤めている人から聞いた情報をそのまま書いた。事実と思う。障害者を死なせろとかいう話ではない」と説明している。
 

 言い回しとか表現の違いであって欲しい。ほとんど自分と同じ年齢の人間が、こんな発言をすること自体信じられないから。しかも、人から聞いた話をそのままブログに書くなよ! 人の生命に関わる話を裏付けも取らないで自身の勝手な解釈で記事にされたら、そういうお子さんを育てている親御さんに対して、言葉の暴力で攻撃しているのと何ら変わらない。きっとこの市長さん、幼少の頃から何不自由なく育ててもらって、道徳の授業なんてこれっぽっちも聞いていなかったのだろう。人の痛みが分からない行政のトップに、福祉の領域に足を踏み入れる資格なんてないのだよ。

 最近怒ってばかりいるような気がします。でも、冷静に怒っているので、こうして記事に出来るのだと思います。とっても難しい問題ですが、コメントをいただければこちらも誠心誠意お返事します。たくさんの方の声を聞きたいので。

コメント

べてぃ #WjAGQ1z2

ひっかかっていました

ギターオヤヂさんこんばんは^^

「障がい者」という表記、何年か前から見かけてちょっと気になっていました。当事者(と感じている)の方はどう思っているのかな?と。
デリケートなことで、こちらは差別意識がなくても受け取られた方が差別されていると思えばそれは申し訳ないし、誰にも聞けずにいました。

それから、先日のショッピングセンターの件もコメントできなかったのですが拝見してからずっと考えています。私もああいうのが嫌なので、ここ3日ほど腹が立っていて、どこに抗議しようかなーと考えています。

ここ何日か月が奇麗です。明日の夜はたぶん晴れるので、月を見て心をしばし休めていただけると嬉しいかな。^^
ごめんなさい、これから野暮用で出かけなければならないのでまた続きは書き込みますが、どうしても伝えたかったので。

2009年12月03日(木) 21時58分 | URL | 編集

とおりすがり #NNM74tIk

自治体の長である資格はないですね。
国民は生存権があります。それを守るのが公務員の仕事なのに。

この市長は公務員嫌いで公務員潰しをしてるので
公人としての役割がわからないんでしょうね。

公務員が市民を守ることを放棄してどうするんでしょう?
それじゃあ警察も消防も救急車も市民病院もいらなくなりますよ。
あまりに公務員が嫌い過ぎてこれらまで潰す気ですかね?

2009年12月04日(金) 03時14分 | URL | 編集

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2009年12月04日(金) 23時10分 | | 編集

べてぃ #WjAGQ1z2

おはようございます。

どこかの市長さんのブログを見てきました。件の記事に関してあとで弁解をされているけれどつらい言い訳のように感じました。医療の問題に関して提言するにしても、そこで障害者を踏み台にするのはひどい。おっしゃるように、福祉の問題を真剣に考えなければならない立場の人が書いてよいことではないですね。
個人的にはブログの書き方も記事もあまりお上手ではないようだし、たぶんもう見ないと思います。いったい何が言いたいのかさっぱりわからない。
こういう人を市長にするというのは、地方ならではなのか、よほど人材がいないのか。声が大きいだけでリーダーになれる場所っていろいろありますしね。(鳩山氏が総理大臣というのも私には理解できませんが)

2009年12月05日(土) 10時47分 | URL | 編集

ギターオヤヂ #QjtTlS4.

べてぃさん

こんにちは。
コメントありがとうございます。

難しい記事にコメントを寄せて下さってうれしいです。どう答えて良いのか分からない・・・というのが本当のところだと思いますが、仰ることはしっかりと受け止めさせていただきました。
市長のブログは自分も読みましたが、やはり何を言いたいのかが良く分かりませんね。聞いたままを書いたから、中身が何もありません。「こんな話をしている人がいた」ということで書けばまだ良かったのでしょうが、薄っぺらい感情論で先走ってしまったのは間違いでした。

このような記事に関してこれまでも書いてきましたが、この国は弱者に対してまったくやさしさが感じられません。生きていくためにまず福祉が手を差し伸べなくてはいけないのに、「生きる価値の無い者は死んだ方がいい」という考えは、一般人であっても決して持ってはいけないはずです。この市民も呆れるやら今後の行政の在り方に大いに疑問を感じていると思います。

「覆水盆に返らず」という諺がありますが、今回の行動は謝罪をいくら重ねても許されることではありません。せめて自分たちが住んでいる地域では、こういうことはないように祈りたいものです。

2009年12月05日(土) 17時42分 | URL | 編集

ギターオヤヂ #QjtTlS4.

とおりすがりさん

こんにちは。
コメントありがとうございます。

難しい記事にコメントをいただきうれしいです。こういう人に暮らしを預けている市民は、きっと不安でたまらないと思います。謝罪したとしても、人の気持ちや思いはそう変わるものではありません。頭を下げながらも心の中で舌を出しているかもしれませんが、最悪最低限の仕事をしてくれればそれでも市民はある程度の評価をすると思います。
スーパーマンなんてどこにもいません。市民の要求をすべて呑む行政も有り得ません。それをやっていたら破綻するからです。でも、人として言ってはいけないことは言ってはいけない。腹の中で何を思っていても構いませんが、市民によって選ばれたことを任期が終わるまで忘れてはいけません。

貴重なご意見をありがとうございました。

2009年12月05日(土) 19時35分 | URL | 編集

ギターオヤヂ #QjtTlS4.

鍵コメさん

こんばんは。
コメントありがとうございます。

後ほどメールさせていただきますね。

2009年12月05日(土) 19時36分 | URL | 編集

蜩 #-

最近、『障害者』の文字が『障がい者』と書かれているのに疑問を持っていたのですがやっとわかりました。
言ってはなんですが、読み方を変えたところで何が変わると言うのでしょうか?

仕事で気になったことがあったのでお話ししますね。
私は職場で視覚障害の方に情報紙と本館のお便りをテープにダビングして毎月送る仕事をしています。
ある時、新規の利用者の方が返送されたテープと一緒に怒りのお手紙が同封されていました。
「盲人なんて言葉は死語だと言うのに平然と使われている神経を疑います。もう二度とそちらを利用したくありませんのでテープを送らないで下さい。」
担当の職員さんとそれを見て凄いショックを受けました。
テープを送るケースに“盲人用”と大きく書かれ、特別郵便のスタンプには“盲人用郵便”と印刷されています。
これらはもう何年もまえから使われていたものなので、私達も当たり前のように使っていたのですが、こんな指摘をされたのは初めてでした。
人によれば言われたくも無い言葉で差別されるのがどれほど屈辱的なものかと思い知らされました。これまで誰も指摘しなかったからと言ってそのまま放置してきた私達にも落ち度があります。分かっていたけど、言いたかったけど言えなかった方もいらしたかも知れないと思うと申し訳ない思いでいっぱいです。
それから全てのケースを交換して、特別郵便のスタンプも新しいのに変えました。
ただ、この郵便のスタンプ、随分前に変更になっていたようなのですが、郵便局側からは一度も指摘された事が無かったのが疑問です。
お怒りだった利用者の方には丁寧にお詫びをして今は普通に利用されています。
でも、私がお送りしている情報誌のタイトルが『盲人情報紙○○』なんです。
これっていいのでしょうか?

障害を持っていらっしゃる方が肩身の狭い生活をされている事に疑問を持ちます。
なにも好きこのんで障害をもったわけではないのだから、自分もいつそうなるか分からないのだから、せめて不便な思いをされている方の手助けをするのがそんなに嫌なんでしょうか?
学校の道徳も大事ですが、やはり家庭での教えが大事だと思います。
勉強ができなくても思いやりのある子に育ってくれた方がいいのに…
親の背中を見て子どもは育ちます。身障者スペースに堂々と車を止めて何とも思わない健常者の親を見ている子どもの将来が不安です。

長々と書いてしまってすみません。

2009年12月12日(土) 02時02分 | URL | 編集

ギターオヤヂ #QjtTlS4.

蜩さん

こんばんは。
コメントありがとうございます。お返事が遅くなってごめんなさい。

確かに「盲人」という言葉は最近では耳にしなくなりました。図書館の職員の方々はサポートになればと思って続けられていたことが、その方からお叱りを受けたのですからショックだったことでしょう。毎月のことなので、きっと気付くことなく続けられていたんでしょう。簡単なことですが、それ故になかなか気付かないことだと思います。

「区別」と「差別」は明らかに違います。今回の「盲人」という言葉は、「差別」として受け取られやすい響きだと自分は思います。しかしながら悪意がないのですから、指摘されたら真摯に受け止めて謝罪、そして改めれば十分だと思いますよ。身障者駐車スペースで商売をしているのを見て見ぬフリをする方がよっぽど悪質だし、何とも思わないのも人としてどうかと思います。

「障害者」は、「区別」として用いている言葉を無理矢理捻じ曲げようとしているような気がしてなりません。必要な言葉、適切な漢字ではないでしょうか。もちろんいろいろなお考えの方がいらっしゃるかと思いますが・・・。
「気遣い」が「勘違い」ではないのかどうか、吹田市の行政を司っていらっしゃる方々に、もう一度原点に帰って見詰直して欲しいと思います。

貴重なご意見をありがとうございました。

2009年12月13日(日) 19時31分 | URL | 編集


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