「24時間テレビ」に思う

昨日「リッキー'sブランチ」の収録を行いました。ここのところ相棒は週末も仕事ということで、2週続けての収録となりました。ブログに集まって下さるみなさんからリクエストをいただくので、聴取エリアからのリスナーさんからも、コンスタントにリクエストをいただけるようになりました。ありがとうございます。ちなみに昨日はみしまのナポレオンさんからのリクエストで、「恋愛写真」(大塚愛)、オヤヂ持込で「あの日に帰りたい」(徳永英明カバー)の2曲でした。
「大塚愛って大塚寧々とは違うよねぇ」
さすが相棒、ナイス・マジボケ。

番組内で話題となった日テレの「24時間テレビ」について、コメントした内容とオヤヂの雑感を併せて書いてみようと思います。
今年でもう30回にもなるんですね。最初の1~2年はそれでも観ていたんです。今までこんな形でのボランティア番組って無かったし、何より自分が障害者だったからです。
たくさんのタレントが全国に展開し、地方局と連動して各地で寄付を募るというもの。しかも24時間ぶっ通しの放送というのは画期的でした。電光掲示板が面白いように募金額を刻み、タレントたちの「ありがとう」という言葉が随所に飛び交っていた記憶が鮮明に残っています。

ところが、3年目ぐらいから気になることが・・・。
すべての場面から伝わる「感動の押し売り」「お涙頂戴」、そしてうんざりするほどの「頑張って」の連呼。たまりかねてチャンネルを替えてから今日まで、ほとんどこの「24時間テレビ」を観ることはなくなりました。観ても毎年せいぜい30分ほどのつまみ食いです。

何か違うだろ・・・。正直な気持ちです。番組内で放映されるドキュメンタリーやドラマ、確かに単発ではレベルの高い出来上がりだと感じます。でもこれを立て続けに流し、その度に画面の小窓にタレントが涙を拭くシーンが現れます。それほどのものじゃないでしょと思うシーンまで泣いていて、挙句「私が代わってあげたい・・・」。決って20歳前後の女性タレントに多いパターンです。おいおい、簡単にそんなこと言っていいの?って思います。同じ状況や障害に苦しんでいる人が、同時にこのシーンを見ているという認識があれば、とてもそんなことは言えないはず。というか、そういうタレントを重用するテレビ局に問題ありでしょう。

それから「頑張って」について。いろいろな「頑張って」があると思うんです。世界のどこかで飢餓に苦しんでいる子供たちへ、障害を持って生活している人たちへ、100kmのチャリティーマラソンに挑戦しているタレントへ、そして24時間一睡もせず(ホントかな)に募金を呼びかけるタレントへ。でも、同じ言葉でも状況によっては意味合いが重くも軽くも、時には何の意味も無いものに変わってしまうような気がします。

ランナーやタレントは、番組が終わればゆっくりと休養することが出来ますが、飢餓や早急に解決出来ない人たちへの「頑張って」って、どれほどの意味があるんでしょう。例えは不適切かもしれませんが、その日を生き抜くことさえ難しい地域の人たちからすれば、
「同情するならカネをくれ」
と言いたくなる心情かもしれません。

障害者への「頑張って」、これが1番大きな勘違いを生んでいるのではないかと。これまでに何度かこのブログでも書いてきましたが、自分を含めて少なくとも周囲の障害者は、自身の障害を受け入れたところから人生が始まっています。ですから、どこか機能しなくても日常不便なことがあっても、それが障害者にとっては普通の生活なんです。普通の生活を送っている人に、「頑張って」はおかしくないですか?
「ご不自由で大変でしょう」
汗を流しながら階段を昇っていると、よく声をかけられます。それって何でしょう。では、エレベーターを設置する運動に参加してくれますか?
横断歩道を渡ろうとしている視覚障害者の腕をいきなり掴んで、
「エスコートします」
これって親切ですか? 手を差し出す人は見えるから何の抵抗も無いでしょうけど、障害者にはとてつもない恐怖の瞬間なんです。ひとこと声をかけるか否かで、親切も諸刃の剣となってしまいます。たったこれだけの話かもしれませんが、健常者も身障者もそれぞれが普通の生活をしているのですから、「頑張って」の存在はやはりおかしいと思うのです。

長くなって申し訳ありません。もう少しだけお付き合い下さい。
番組内の100kmマラソン、あれはどういう目的があるのか自分にはわかりません。チャリティーとどういう結びつきがあるのでしょう? 最初の頃は日頃から鍛えているタレントを起用していましたが、ここ数年はまるで運動することに縁の無いタレントを選び、心神喪失状態になるまで背中を押し続けて、視聴者の感動と涙を誘ってラストを飾るショーと化しているような気がしてなりません。大概翌日の特番で観たりするのですが、苦痛に顔を歪めて道端にへたり込む姿に、正直美しさどころか痛々しさを感じるし、
「一生懸命な○○さんに、元気と勇気をもらいました」
なんてとても自分には言えません。リッキーの切り抜いた新聞記事に、「ヘビースモーカーである萩本欽一さんのマラソンは自殺行為」という医師の忠告が記載されていました。本人の承諾済みなのでしょうけれど、万が一事故が発生した時家族に対して、テレビ局はどうやって責任を取るのでしょうか?

決してチャリティーを否定しているわけではありません。自分も他のブログへお邪魔した際に、ワンクリック募金に参加させてもらっていますし、それが目的のライブにも多く参加してきました。ただ、1年に1回多数のタレントを使ってお祭と化してしまうチャリティー、本来あるべきチャリティーの姿を考えることなく、募金をしていることを危惧しているのです。既述の健常者と障害者との段差こそ、まずはバリアフリー化しなくてはいけないと思います。

先日の記事で、点字用の電子手帳が補助の対象にならない反面、自分の補装具が対象になるという不公平もありました。巨額の募金は利用者からすればありがたいことですが、募金に頼らなくても済むような社会制度を整備することが先決です。そのためには、自分を含めた障害者自身も現状の制度を熟知するための勉強をして、要望することは声を大にして要望出来るような準備をしなくてはと思います。

それぞれに様々なお考えがあるはずです。「24時間テレビ」をご覧になった方もそうでない方も、ご意見があればぜひお聞かせ下さい。少しでも障害に対する考えの段差が解消出来ればと考えています。

拙文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

コメント

ピンピンシニア #-

ピンピンシニアの場合は、ふだん何も考えないでそこらを目的もなくうろうろ歩き回っています。歩き回るという普段普通にしていることが出来なくなったとき、初めてその価値に気づくのでしょう。
電車に乗るときも、白い杖をついた人が、一人でホームを歩いてきて、杖でドアの位置を探り、乗っていきます。歩数を数えていて場所を間違えないんだそうです。時々、おばさんがさっと手を取って車内に案内しようとしますが、お断りしているようです。
どうしても自分との比較で相対的に物事を見がちなのですが、その人は、毎日、私は目が見えないからかわいそうなのだとは思っていないと思います。
適切に、本当に困っておられるときに手を貸してあげるというのがいいのかなと思います。
メディアがそういうことを押し付けの番組にしてしまうことは良くあります。
涙頂戴でチャリチィーといいいますが、企業にその気があるのなら普通に稼いだお金を寄付すればいいのです。視聴率ということが常に見え隠れしています。タレントはそれが商売なんだから、勝手にやれば良いと思いたくなることもあります。この間の100km云々は見ませんでした。

2007年09月01日(土) 06時30分 | URL | 編集

Rickyおやじ #-

おかしいと思う事は 「おかしくない?」って言おう!

ギターオヤヂ君とは、ほんとに色々な話をする
ギターや歌の「お稽古(いい言葉どすえ)」や「お座敷(いい言葉どすえ)」や「舞台」より、もしかすると多くの時間を「あ~でもないこ~でもない」に費やしているかもしれない
もち論、経歴も仕事も家庭や家族もまるで違うから、意見や考え方が異なる場合だってある
だけど、この ≪24時間テレビ?どんだけ?≫的思想はまったく共通していると思う
僕たちの友人/全盲の堀越君との長いつき合いの中から学んだ事が、オヤヂ君の主張と見事に重なるかもしれない
頑張れる人間の「頑張れ!」は、時として、極めて哀しいくらい残酷だと思う
世界最貧国の一つネパールのこどもたちに文房具や衣類などを届けに行く事がある
朝からサイコロのチンチロリンでグダグダしているおとっつあんらに、「あんたらさ~、もっとしゃきしゃき働いて豊かになれば~?」と、僕は言えない
それが彼らなりの頑張り方なのかもしれないし…
「たまたまこうなんだよね~」が、本当にたくさん寄り集まって社会ができ上がっている
僕たちにとりあえずできる事は、その「たまたま」が本当に色々なんだよな~と、静かに知る事だと思う
≪24時間テレビ≫は、僕も観ない  腹が立って気分悪くなるし・・・
そのかわり僕は、普段の生活の中で色々な「たまたま」に気付きながら、その時々に乞われた事で自分にできる事だけをしながら生きていきたいと思う
何だかちょっと、重たいコメントになってしまったか…

2007年09月01日(土) 06時30分 | URL | 編集

海月 #9xVGaoVI

おはようございます

24時間テレビは私も見ていません。
子供の頃は見て募金もしたりしましたが
私もギターオヤヂさんと同じような気持ちで
見ていないです。

私の伯父は障害を持っています。
でも「頑張れ」とは決して言いません。
「頑張れ」という言葉は、時々
使ってはいけない言葉だと思います。
「頑張れ」という言葉を聞いて
「もう、これ以上何を頑張るのだろう・・」
と思い、自ら命を絶ってしまう人もいます。
人事では「頑張れ」
では、自分がその立場なら?

と、思います。

2007年09月01日(土) 06時41分 | URL | 編集

シチューパン #3p3E4xCk

 「24時間テレビ」も「世界が100人の村だったら」も見ません。見るとしても一人で見ます。
 実は、出て泣くタレントもむかつきますが、一緒に見ている知人友人達がタレント同様の反応することにも腹が立ってしまうからです。
みんな、いい人たちなんです。でも、ものごとを自分の基準でしかとらえない。
 子どもを働かせる親を「ひどい親だ。あんな親がいるからいけない」というのです。
 違う。働きたくとも働けないのです。五体満足な大人を、それに見合う賃金で雇うより、安い賃金で子どもを雇う方が雇い主にしてみればずっと楽だからです。
 働く場所もなく、耕せる土地もない、好き好んで子どもに頼って暮らしているわけではない。事実だけで(知らないから? 気づかないから?)、簡単に親を非難する友人・知人を責めたくなるのが嫌なんです。(説明しても、でもねアレは親がいけないから外れない方も多いしね。)
 国を非難する人たちにも同様の腹立ちを感じます。国だって一生懸命です。でも、お金がない、絶対的に。
先進国は、戦争には莫大な金をつぎ込むくせに、貧乏な国にはお金をあげずに貸します。民間のサラ金地獄と同じです。稼いでも稼いでも、利息を払って元金が減らないの。ホワイトバンドは、それに関わるチャリティーだったのに、単なる募金活動と思っていた人がいかに多かったか。

 近頃のチャリティー番組は、自分基準で動く人の傲慢さと安っぽい偽善の匂いが鼻につきます。
 真摯にわれわれに何ができるかを考えるべきです。
 その意味では、まだラジオの「とうりゃんせ募金」の活動の方が理解できます。

 鎌田先生の「頑張らない」が流行語になったこともあったのに、真意は全然浸透していない。「頑張れ」と安易に言うことを、人は慎むべきです。(これも結局自己基準のラインの問題なんだろうな)

 徳光さんが好きではありません。泣いてその場の雰囲気を作ってしまう。なんでもかんでも「もう、いいじゃん。」って、泣くことで感動にしてしまう。そんな方をパーソナリティーにするってどうよと腹が立ちます。

 子ども達と海外福祉について話すときは、その国の歴史や社会情勢を踏まえないといけないと思っています。安易に募金とか物を送るという子には、手段は? 送ったものをどうする? と先の先まで考えさせます。自分の手から離れておしまいが福祉ではないと気づかせたいので。

 もっと、人は謙虚にあるべきだし、人に対して真摯に向かうべきです。お祭りで行うのは一面であることをきちんとうたって、イベントを開くべきです。お祭り100%になっている風潮に、腹が立つ夏でした。

 長くてごめんね。

2007年09月01日(土) 07時27分 | URL | 編集

カプチーノ。 #-

ギターオヤヂさん、おはようございます。

先日、点字の件から、児童障害福祉の件をお話させて頂きましたけど
現実は厳しい ・・・ ということを感じるのが本音です。
彼らにとって、時に 「優しさ」 が 「罪」 になるのですよね。
大変そうだから、と すぐに手を差し伸べた際に、院長に注意されたことがあります。
  「彼らの努力する姿をご覧になられてください」
努力したあと、院長は 子供たちに大きな愛情で包まれていらっしゃいました。
愛情表現には色々あるのだな~ と。
また、ひとりの子供から 
  「自分を見て "かわいそう" なんて涙はいらない。嬉し涙をちょーだい!」 なんて。
思った以上に、強く生きていかなければいけない運命を悟っているのです。
それから、です。 子供たちの目線に合わせ、厳しく愛情を注げるようになれたのは。
言葉を話すときの目線だけでなく、心の目線も対等に。

 「頑張って」 ・・・ について、厳しい意見を言わさせて頂きます。
頑張らないと、彼らは生活できないのが実態です。
ただ、障害を持たれていらっしゃる方々、皆が皆
強い心を持っていらっしゃるかと言えば ・・・ 嘘になります。

↓ 水族館、私も大好きなんですよ。
くらげとか大好きでして (人と趣味が違いすぎます?笑)

2007年09月01日(土) 07時42分 | URL | 編集

mammie #-

以前、24時間テレビでマラソンを走った“トミーズ雅”が言っていました。
「“頑張って!”と言われても・・・。十分頑張ってるのに、これ以上どうしろっていうの?もし声をかけてくれるなら“good job”が嬉しいナ♪」」って。
「なるほど!そうよねぇ。」って思いました。

2007年09月01日(土) 09時28分 | URL | 編集

兎丸 #9exCmNi2

多数派、少数派

障害者関係の話になると思い出すのが、落語の演目である「一眼国」ですね。

男が野原で一つ目小僧を見付けます。
捕まえて見世物にしようと、後をつけて行くと、ついた先は一つ目人間の国である「一眼国」。
たちまち怪しい奴として捕まって、御白州に引き出されます。
出てきた一つ目の御奉行さま、男を見るなり「ややや、こやつは目が二つもありおる。ただちに牢屋から出し、見世物に出せい!」
お後がよろしいようで。

意外と、身障者という考えの底には「多数派、少数派」の考え方あるわけです。
目の見える人間が多数派の目が見える国は、目の見えない国の人間にはチョットばかり暮らしにくいように作られているわけですね。

ところで。
障害という意味では全盲も近視も、程度の差でしかないのに「最近、近視の度が進んで」って人に「がんばってください」とは言わないのね。
でも、近視の人の方が全盲の人よりも、例えば視力トレーニングとか眼鏡の買い換えとか、「がんばって」何とかなる可能性は高いわけで。
そうすると、一般の人達は「がんばってもどうにもならない」人達に限って「がんばってください」などと言っている事になる。

訳分からんなぁ。

ワタシも実は極々ささいな物ですが、遺伝性の障害があります。
日常生活どころか人生全般においても、その障害が問題になる事の方が稀れな程度の物なのですがね。
ところが、一部の方々はその話を聞くと「大変ですねぇ」って言うのね。
その度にワタシは「ちゃんと話を聞いてくれているのかなぁ」って複雑な気持ちになるですよ。

うーん。乱文御容赦。
(^^;

2007年09月01日(土) 10時05分 | URL | 編集

frusic #qqvQ5iVU

こんにちは。
書こうか、書かないか・・・迷いに迷いました。
文章を書くことで、誤解を招く心配もあります。本当は、会ってお話したい内容です。
意見を書くことで、少しでも参考になるのであればと思い、私の意見を書かせていただきます。
といっても、何から書いていいのやら・・・心のうちを言葉で表現するのは本当に難しいです。
失礼な言い方かもしれませんが、健常者に障害者の気持ちを分かってほしいと言ってもそれは、無理でしょう。普通の平凡な悩みだって、他人は分からないぐらいですから。
では、障害者の方が、いつでも助けて欲しいと手を差し伸べて欲しいと思っているのでしょうか?私は、そうは思いません。自立して生活したいと思っていると思います。空気のように当たり前に接して欲しいように感じます。今、なぜ、そういったことが注目され、24時間テレビのような茶番な番組、何を考えているか分からないボランティアの集団が溢れているのか。それは、健常者と呼ばれる人間のこころが貧しいからだと思います。
自分が満たされていないから、自分の存在価値を求め、自分がヒーローみたいな偽善っぽい行動を起こしているのだと思います。その方が視聴率も上がりますし。
私も心の中では、青年協力隊に入りたかったです。今でもその思いはあります。しかし、その都度冷静に見つめなおします。『今の自分に納得しているか』を。私は、自分が一人前になって初めて、人助けができると思っています。私自身、大勢の方々に支えられていますから。
もちろん、中には神様みたいな心の綺麗な方もいらっしゃいますから、一概には言えませんが。

健常者と障害者、バリアフリーみたいな言葉が先行すればするだけ、可笑しな方向へ進んでいくような気がします。しかしながら、宗教心が薄い私たち日本にとっては、ボランティア活動ではなく、まず、道徳というものをしっかりと小さい頃から学ばせるべきではないかと思います。
ボランティア活動をする前に、今こうして生きていることへの感謝、健常者であれば、気にせず動かせる手足にもっと感謝するべきだと思います。当たり前なことだけど、当たり前ではなくなってしまった・・・それに気付いた大人たち・・・欲を捨て当たり前のように接することができる世の中にしていって欲しいと思います。決して、言葉を作り、言葉に意味を持たせ、その言葉を先行させてはいけません。本来、当たり前のことなのですから。

私の叔母が知的障害者です。彼女がいたから、今の自分があると親父はよく私たちに言います。
私たちにとっては、いることが当たり前なんです。

まずは、今生きていることを感謝することからはじめようと思っています。
答えになってないかもしれませんが、ごめんなさいね。
どうしても言葉は難しいです。選んでしまって。
態度なら嘘つけないから、簡単ですけどね。(笑)

オヤジになっても音楽ができる人、私は羨ましく思います。
自分もやればと思うのに、できない理由ばかり考えているようで・・・。

それでは、失礼します。

2007年09月01日(土) 14時03分 | URL | 編集

紅緒 #TEzGU1vU

こんにちは♪

前から書かせてもらってきたことですが、私はあまりにものほほ~んと暮らし、のほほ~んと何も考えないで生きてきたので、知らないこと・考えてないことが多すぎて…ギターオヤヂさんやその他、コメントをされている方の言葉を読ませて頂いて…ただただ口を真一文字にしています。
きっと自分がいつも頑張っている!なんて胸を張って言えないからと思います。知らないことは罪なのに、それすらもわかっていない自分なのです;汗。

「24時間テレビ」「世界が100人の村だったら」などの番組も…私はしっかりとではありませんが、ちらちらっ程度には見ています。
でも、近頃のマラソンランナーの走る姿を見て「勇気をもらった」と感動はしません。泣けもしません。
それよりも「大丈夫?無理はしないで…」といった気持ちで見てるといった方が強いでしょうか??
今年のランナーの欽ちゃんについて、老人虐待になるのでは?という記事をちらっと見た記憶があるのですが、そうだよな~って妙に納得してしまいました。自分の身近な人が、全く運動に縁のない生活をしてきて、いきなりこの猛暑の中、24時間走る(歩くにしても)っていうのは、健康状態はどうなの???って思ってしまって…感動というより、心配でたまらないと思うのです。
感動とかというのではなく、胃がきりきり痛むといったほうがいいかもしれません。そんな複雑な思いが溢れてきて…うまく言葉にはできませんが、考えさせられることが多すぎて…複雑な思いで見ているといったところでしょうか・・・??
ですから、「頑張れ~」というのが、感動の押し付けでは??という記事も見たのですが、これまた納得かな??って感じました。

私はホント、のほほ~んと、ただただ周りや家族に感謝して暮らしているだけなので、頑張ってはいませんが、それでももしも「頑張れ!」って言われたら「何を?今でも自分なりにはやってるよ」って言いたくなります。
人から見れば頑張ってないのでしょうが、頑張れ~って言われると…その言葉がプレッシャーにもなって、気持ちが重くなってしまうからかもしれません。
でも、自分には時々、「頑張れ~」と言い聞かせています。
頑張ろうってしている時に、誰かから「頑張れ~」って言われると、嬉しい気持ちもありますし、それがプレッシャーになることもあります。
そう考えると…〝頑張れ〟って言葉って、TPOを考えないと、かえって空気を乱す言葉になったり、白けたり、重荷になったりするかもしれない!!と、今回のギターオヤヂさんやみなさまのコメントを読ませて頂いて感じました。

言葉って………相手のことを思いやって…誠意を持って言えば、どんな言葉でも思いが伝わるかもしれないですね。
逆に、口先だけの言葉は…いらないものかもしれませんね。
そんなことを、ギターオヤヂさんやみなさまのコメントを読ませて頂いて…考えることができているってことは…のほほ~んと暮らしてきた私には…とてもありがたいことだと感謝しています。
ありがとうございます!!
これからも、どうぞ宜しくお願い致します!!

(あらら・・・!!いったい何が言いたいのか…分からないコメントになってしまいました・・・;汗。
私は知らないこと・考えもしていないことが多いですので、いろんな方からいろいろと刺激を受けて…もっともっと知らないで済ませないようにして、もっともっといろんな勉強をしていかないといけないですね!
それには、素直な…人の意見をきちんと聴ける耳を持たないといけないですね!。時に頑固になることがありますので…気をつけねば!って思っています;汗汗汗)

何が言いたいのか・・・分からないような長いコメントになってしまい、申し訳ありません;(^^ゞ。

2007年09月01日(土) 15時52分 | URL | 編集

ギターオヤヂ #QjtTlS4.

ピンピンシニアさん

こんばんは。
コメントありがとうございます。

>ふだん何も考えないでそこらを目的もなくうろうろ歩き回っています

ピンピンシニアさんは健脚を生かして、色々な場所へで掛けて行って素敵な写真を紹介してくれます。その中には、どうやっても自分が絶対に行くことが出来ない場所があります。そこを見ることが出来るうれしさ、本当にありがたいと思っています。何も考えていないつもりでも、喜んでいる人間がどこかにいるんですよ。

障害者に手を差し伸べる瞬間て、とても難しいはずです。我々障害者は、助けてほしい時に助けてほしいと言える勇気を持たなくてはいけないと思います。

2007年09月01日(土) 20時36分 | URL | 編集

ギターオヤヂ #QjtTlS4.

Rickyおやじさん

こんばんは。
コメントありがとう。

4年前に「30年ぶり」の劇的再会を果たしてから、今日まで様々な経験をさせてもらっているし、それについて双方の立場からあらゆる話をしてきた。ライブならDVDや写真、講演会ならレジュメというように、すべての資料をファイリングしてあるから、自分にとってのとても貴重なデータベースになっている。

その中で「歌付き教育講演会」という新たな試みが注目を浴びるようになってとてもうれしい。そこでの手応えを「リッキー'Sブランチ」というFM番組や自分のブログで紹介して、リスナーやみなさんからのコメントをいただいているよね。ありがたいことです。

今度はぜひネパールへ出掛けて行って、子供たちの純粋な笑顔やパシュパティナートの野外での火葬を肌で感じて、「生きていくこと」について改めて考えたいと思ってる。よろしく!

2007年09月01日(土) 21時05分 | URL | 編集

jun #kuX..F9k

ありがとございました

訪問&コメントありがとぉございます。

すごく思い内容で・・・コメントするのに躊躇してしまいました(^^;)
私は今まで殆ど障害を持った方と接した事がありません。
祖父・祖母が年を取って段々動きが不自由になった位で・・・。
だから、電車の中でお年よりや不自由な方に席を譲る位の事しか
した事がありません(^^;)

24時間テレビ、何気に結構見ちゃってます。
でも、参加してる人達のエゴみたいな事を感じることがありますよねぇ。
マラソンにしても、毎年一緒に走ってるおじさん(バンダナしてる方w)や
周りの人達は、走ってるタレントさんよりも大変だと思うし・・・。

「頑張れば願いが叶う」とか「絶対に大丈夫」って言葉も好きじゃないです。。。


なにが言いたいのか、全く判らない文章になってしまいました(^^;)

2007年09月01日(土) 21時28分 | URL | 編集

ギターオヤヂ #QjtTlS4.

海月さん

こんばんは。
コメントありがとうございます。

海月さんも自分と同じ理由で、「24時間テレビ」は観ないのですね。観ないことに対してもしっかりとした信念があってのことなので、そういう方がいて下さったことに安堵しました。

ご親族に障害を持つ方がいらっしゃると、障害者に対する考えが少し変わってきませんか? 「ここまでで限界なんだ」とか、コメントにもありましたが今まで何気なく使っていた「頑張って」が言えなくなったりとか。そういうことに気付いた時に、障害者と同じ目線で物事が考えられるようになるのだと思います。
海月さんの持っている本当の意味での「やさしさ」を、これからも大切にしていって下さい。

2007年09月01日(土) 22時14分 | URL | 編集

ギターオヤヂ #QjtTlS4.

シチューパンさん

こんばんは。
コメントありがとうございます。

教育の最前線にいらっしゃるだけに、冷静な考え方と弱者に対する正直な気持ちを感じるコメントでした。

>近頃のチャリティー番組は、自分基準で動く人の傲慢さと安っぽい偽善の匂いが鼻につきます。真摯にわれわれに何ができるかを考えるべきです
番組を制作する段階で、障害者とコミット出来るスタッフがいないのではないかと思うんです。放送される内容は、すべて送り手側の都合をゴリ押ししているようにしか感じ取れません。泣かせる筋書きがあって、徳光さんが涙を流し、タレントはその場の雰囲気に流されて美辞麗句を口走る。「これから自分なりに障害者と向き合っていきます」と、有言実行したタレントはこれまでにいたでしょうか。

>自分の手から離れておしまいが福祉ではないと気づかせたいので
それってすごく大切なことだと思います。善意がどのような過程を経てどのように利用されるのか、それを知ることも福祉なんですよね。それはこれからもぜひ続けていただけることを願っています。

2007年09月01日(土) 22時42分 | URL | 編集

はらぐろ #mQop/nM.

ギターオヤヂさんへ

遊びに来てくださり、ありがとうございました。とっても嬉しかったです。

ごめんなさい。実は先日こちらに来ました。
でも、正直、身につまされる思いで、何もコメントできませんでした。

私自身はもともとあまりTVを見ないので。。。でも、募金はしました。震災のとかのもそうです。というか、お恥ずかしながら、今私が出来ることはこれくらいしかない(もっとあるのでは?というご意見もあると思いますが)と思って。
で、番組に対しての希望は、募金が本当に必要なことに使われて欲しいという事ぐらいしか望んでいません。
今ちょうど福祉関係で、公金でもいろいろ問題がおこっているニュースをみると、悲しい気持ちと、またかって思ってしまいます。

話がずれました。すみません。

みなさんのコメントなどを見ていると、いかに自分がちっぽけか(そんな事はわかっていたことですが)、よくわかります。


こちらで、ギターオヤヂさんをはじめ、いろんな方の貴重なご意見を聞く事ができて、良かったと思います。

2007年09月01日(土) 23時25分 | URL | 編集

ギターオヤヂ #QjtTlS4.

カプチーノ。さん

こんばんは。
コメントありがとうございます。

先日のコメントで児童障害福祉に関わっていらっしゃることを知り、とても貴重な時間を過ごされているなと思いました。自分のことだけで精一杯という世の中で、出来ればややこしいことや複雑なことは避けて通りたいというのが本音です。自分が3年間を過ごした養護施設も、次第にスタッフが足りなくなってきているそうです。

> 「自分を見て "かわいそう" なんて涙はいらない。嬉し涙をちょーだい!」 
重い言葉ですね。ズシリと響きました。子供心に障害を受け入れて、強く生きる決心をした気持ちに対して「かわいそう」とは思わないでほしいだなんて、なかなか言えることではありません。
カプチーノ。さんが心掛けていらっしゃる「心の目線を対等に」すること、これからもぜひ続けていただきたいと思います。

「頑張って」は使い方だと思っています。障害者のことを何も知らない、或いは知ろうとしない人がこの言葉を投げかけたら、何の感情もこもっていない無意味なひとこととして通り過ぎてしまうでしょう。
本当に頑張っている人が、躓いたり悩んだり迷ったりしている時にかける「頑張って」は、強い味方になってくれると思います。

2007年09月02日(日) 00時03分 | URL | 編集

ギターオヤヂ #QjtTlS4.

mammieさん

こんばんは。
コメントありがとうございます。

トミーズ雅さんも走りましたね。
誰が走っても、未だになぜマラソンなのか意味がわかりません。走りながらそう思ったタレントもいたんじゃないかなって。
ボロボロになっている時にスタッフから尻を叩かれ、挙句「頑張って」は辛いでしょうねえ。good job なら納得は出来ますが・・・。

2007年09月02日(日) 00時44分 | URL | 編集

ギターオヤヂ #QjtTlS4.

兎丸さん

こんばんは。
コメントありがとうございます。

「一眼国」の話、なるほど!と思いました。ありがとうございました。
多数派つまり健常者中心の世の中が当り前になっていますが、ある程度仕方のないことだと思います。ただそれを表立って公表してしまうと、それこそ大変な逆風が吹くでしょう。
大赤字の医療費然りです。厚労省は、出来れば70歳になったら天寿を全うしてくれないだろうか・・・なんてことを考えているかもしれません。

少数派の障害者が、何のストレスも感じないで暮らせる世の中になってほしいものです。

2007年09月02日(日) 01時28分 | URL | 編集

Rickyおやじ #-

「~と~」的発想への疑問

確か、永六輔さんだとったと思う。

永さん自身に対する好き嫌い感情は別次元の問題として、彼がどこかで語っていた「だいたい、ハッキリした基準も目安もない『障害者と健常者』という二分法的な発想そのものがおかしい」「人間だったら誰でも一つくらいは生きていく上での『障害』を感じているはず」「だから、み~んな『障害者』なんじゃないの?」「障害は、『あるかないか』じゃなく、本人が『そう思うか思わないか』なんだよね」という言葉には共感できる。

先天性全盲の友人は、自分の事を障害者だなどとはこれっぽっちも考えず、歩道上に無造作に停めてある自転車にけっつまづいては「そういうもんだ」と思い、「気を付けなくちゃ」と考えている。「目が見えなくて不自由」と勝手に考えているのは、目が見える僕たちの方だけだったりするらしい。

上記永さんの、投げやり的で奇をてらっているようにも思える「そんな事言っちゃえばみ~んな『障害者』」「僕だって立派な『障害者』」という発言が、ある意味で好きだ。

僕には、既に膵臓機能がほとんどない。
血糖値に始まり、次から次へと「異常値」のオンパレードが続く。
そこに起因して、心臓や腎臓も(頭も顔もか?)悲劇的にヒドい。
フケ症だし脂足だし顎関節症だし自己中心的だし熱しやすいし冷めやすいしシイタケが食べられないし… これはもうれっきとした正真正銘の障害者だと思っている。

でも、「いやあ、実は僕は障害者なんですよね~」という僕の言葉に、ほとんどの人が「またまたぁ、何言ってんですか~」と返してくる。
ま、「元気で活動的で精力的で明朗快活な(を演じている)不健康」なんだからしょうがないのだろうが、「勝手に決めつけないでくれよな」と思う事が多い。

「(障害者かどうか/健康であるかどうかを)決められるのは自分自身以外にない」をテーマに、僕は「健康プロデュース概論」という授業を担当している。
≪リッキーズブートキャンプ≫風「健康作り法」を期待して集まってきているらしい学生たちの多くは、「俺は元気だけど不健康だ~文句あんのかよ~」発言に面食らうようだ(笑)。
「障害者と健常者」「健常者か障害者か」みたいな発想そのものの、ヘンテコさを問題提起したい。

「たまたま」&「色々」&「だってこうなんだも~ん」を理解して受け容れる事、とても難しいんだけど目指したい目標だと思う。
だからこそ再び、たった24時間で「どうです?これでわかったでしょ?頑張りまっしょい!」などを押し付けてくる、あの空洞化したバカ騒ぎが好きになれない。

自分自身、マスコミに登場したり加担したりする事も少なくないが、この「お涙&同情頂戴的似非社会福祉呼びかけ番組」と、バカ騒ぎ的応援やりっ放しの「ニッポン、チャチャチャ的」スポーツ番組だけには関わりたくない。くわばらくわばらなのである。
長くなってすんませ~ん

2007年09月02日(日) 04時38分 | URL | 編集

ギターオヤヂ #QjtTlS4.

frusicさん

おはようございます。
コメントありがとうございます。

考え抜いた末のコメント、読み応えがありました。
何事がおきても、時間の経過と共に瞬く間にそれが風化してしまう世の中です。自身の存在価値に疑問を持たれたり、どこに自身が立っているのかもわからなくなってしまっている方もいらっしゃると思います。「24時間テレビ」はそういった人たちにの心に、砂浜に撒いた水のように吸収されるのだと思います。振り返る時間もなく24時間が過ぎ、表示された募金額と感動のフィナーレで一応のピリオドを打ちます。たったそれだけの時間で、ボランティアのどこまでがわかったの?って毎年感じていました。
「何かをしたい、参加をしたい」という気持ちは素晴らしいと思います。でも、その前にボランティアに参加する本当の意味を考えてほしいと思います。でないと、テレビ局の思うツボだからです。仰るように「当り前の生活が出来ることに感謝する」気持ち、大切だと思います。

自分にとって音楽は必要不可欠なものです。趣味で続けていく分には、理屈など存在しないからです。それによって、これまでたくさんの人たちと繋がることが出来ました。恐らく死ぬまで続けると思います。

2007年09月02日(日) 07時01分 | URL | 編集

ギターオヤヂ #QjtTlS4.

紅緒さん

おはようございます。
コメントありがとうございます。

紅緒さんとお知り合いになれたのは、シチューパンさんのブログで障害者についてのコメントのやりとりだったように思います。以後自分のブログでも、いろいろ気付かせていただくコメントを寄せていただき、ありがたい気持ちでいっぱいです。

今回は「頑張って」という言葉に特化して書かせていただきましたが、その場所に相応しい言葉かそうではないのか、口から発する前に考える人が少なくなったように感じます。そんなつもりではないのに思わぬ誤解を生んだりするのは、そんなことが原因のひとつのように感じます。

言葉は使い方によっては、手を差し伸べることと同じ価値があります。それだけに、今の状況を見極めた上での発言をしていただければうれしいなと。実際にそのような機会に遭遇することは少ないかもしれませんが、常に思いやりの気持ちを持つことだけでも、見えなかったものが見えてくる気がします。

2007年09月02日(日) 07時21分 | URL | 編集

ギターオヤヂ #QjtTlS4.

junさん

おはようございます。
コメントありがとうございます。

重い記事についてのコメントが飛び交っている時に申し訳ありません。でも意を決しての書き込み、とてもうれしいです。

>電車の中でお年よりや不自由な方に席を譲る位の事しかした事がありません(^^;)
これで十分だと思いますよ。これさえ大勢の中では勇気のいることですからね。ボランティアって、本来自分に出来ることに無理なく参加することだと思うんです。その中から何かを見つけられれば自分の引き出しの中が増えていって、自身が何かにぶつかった時の選択肢も増えていくのではないでしょうか。

堅苦しい記事ばかりではありません。どちらかと言えばおバカな記事の方が多いです(笑)。懲りずにまた遊びに来て下さい。ありがとうございました。

2007年09月02日(日) 07時38分 | URL | 編集

frusic #qqvQ5iVU

そうなんです。理屈なんて存在しないんです。
私もズーッとそれで悩んでいます。
私はどちらかというと、単純で無鉄砲な割りに石橋を叩いて渡る性格をも持ち合わせています。
農業もなぜこんなに熱くなっているのか、正直わからないところが多いです。気付いたときには、50年、100年後のために子供たちに残さなければと大それたことが支配してしまったようなんです。感動を伝えたいという気持ちが膨らんでしまったようで。
しかし、現実は違います。一緒に働いてくれる仲間、支えてくれる仲間がいます。そしてその家族も。生活するためには、しっかりと現実を凝視しなければいけないと頭では分かっているのですが・・・
40に近くなってもまだまだ子供のお遊びかもしれないと思う日もあります。生きるって、本当に矛盾だらけだなんてことも考えます。結局、平和だからそうやって言える部分があるのでしょう。
一つずつ納得しながら、進んで生きたいと思います。しかし、信じてくれている仲間やその家族を困らせるわけにはいけないとも思っています。やっぱり、生きるってことは過酷なものなのでしょうか?今の日本が平和すぎてそれが当たり前のような中で育ってきてしまった・・・今こうして生きていると言うことを、もっとどこかで感じなければと焦ってしまいます。

また、よく分からないことを書いてしまいました。

2007年09月02日(日) 11時05分 | URL | 編集

まさ@浦河 #mQop/nM.

私は最近ホントTVを見なくなりました。
NHKのドラマ、ドキュメント、時々サッカーに野球。あれ?結構みてるかな?(笑 スポーツはNHKと民放で同時放映していたら絶対NHKで見ます。

 ところで、私は関西出身なんですが、関西人が全員即興で漫才ができて、おもしろいボケとツッコミができるという誤解をTVのおかげで全国に広めてもらいました。関西人が全員おもろくて、うるさい人なら関西のお笑い芸人成り立たないでしょ?(^^; そのくらい今の同世代の人はTVの情報を鵜呑みにし、踊らされていると思います。関西人でも面白くない人はたくさんいますってば。

 ちょっと重たい話ですが、昔、私は「がんばれ」という言葉で人を殺しました。それは学生の頃、みんなで寮生活をしていた時ですが、一人の友人がうつ病になりました。しかし、当時私たちのような学生がそのうつ病がどれだけの病気で、一つ一つの言葉にどれだけ本人を追い詰められるのか全く学習していませんでした。結果、毎日のように励ますために「がんばれ」という言葉を投げかけ、無理に外へ連れ出し勇気付けようとしました。そしてある日彼は命を絶ちました。
 私たちはその後にうつ病というものがいかなるものかを学んだのですが、それ以降「がんばれ」という言葉を発するには、熟慮と勇気を要するようになりました。このギターオヤヂさんの記事とはちょっと意味が違いますが、ようするに人に励ましを与えたり、勇気付けたりすることは、それほど簡単に出来ることではないと思います。今のTVの中の人たちにはそいう気持ちで言葉を発している人は多くないと思いますし、視聴率がそれなりに取れるということは受ける側もたぶんそれなりなんでしょう。
 
 ですが、やはり人と関わるために言葉はとても大切な手段です。たいていの場合、人とのつながりは言葉から始まりますよね。結果がどうなるか分かりませんが、勇気をもって「手伝いましょうか?」或いは「どうぞ」という言葉は出来るだけ自ら発するように心がけているつもりではあります。

2007年09月02日(日) 15時17分 | URL | 編集

ギターオヤヂ #QjtTlS4.

はらぐろさん

こんにちは。
コメントありがとうございます。

>お恥ずかしながら、今私が出来ることはこれくらいしかない
はらぐろさん、今の自分に何が出来るか、そしてそれを実際に行うことこそ、本来のボランティアだと思いますよ。「これくらい」が、世の中にとってものすごく大きな力になると思います。ぜひその気持ちを持ち続けていただきたいと願います。

「24時間テレビ」での募金は、どのように使われているのでしょうか。HPでは寄贈されたものが何がどれくらいという表記はされていますが、自分は詳細なデータを見たことがありません。あらゆるものを調べてみましたが、探しきれませんでした。自分の不勉強かもしれませんが、大切な募金額の使途を明確にした資料が見たいなぁ・・・と思っています。

はらぐろさんは、はらぐろさんのままでいて下さい。

2007年09月02日(日) 15時35分 | URL | 編集

ギターオヤヂ #QjtTlS4.

Rickyおやじさん

2回目のコメント書き込みから有料になります(爆)。

今回の問題定義は、以前から自分の気持ちの中で釈然としなかったことを書かせていただいた。本当にみなさんが真剣に向き合って下さって、これほどのコメントが寄せられるとは思ってもみなかった。障害を持つ身としてとてもうれしい。

実はこのような重い記事を書くことでコメントの収拾がつかなくなったら、一旦ブログの閉鎖をしなくてはならないかもという覚悟はしていた。

これからの講演会でもしこの手のオファーが来たら、ぜひ取り上げてみたいと思う。親が子供に、障害を持つ人たちと出会ったらどう思うの?、そして自分ならどういう行動を取るの?っていうところから切り崩していくと話を引き出しやすいかな・・・と思うんだよね。ご一考あれ。

2007年09月02日(日) 16時00分 | URL | 編集

ギターオヤヂ #QjtTlS4.

frusicさん

こんばんは。
コメントありがとうございます。

そうですね、生きていくというのは過酷なことだと自分も思います。ひとりではない分、繋がりから生まれる生きがいや柵は、様々な場面で試練を与えてくれます。その試練にどうやって向かい合えるか、生きていくのかで、人生の価値が決っていくものではないでしょうか。

frusicさんは農業に従事されながら、周囲の方々の暮らしを気遣っていらっしゃいます。そういうやさしさって生きることの過酷さの中で、とても実りが多いんじゃないかって思います。
過酷でも、生きている人には必ず朝はやって来ます。

2007年09月03日(月) 01時13分 | URL | 編集

ギターオヤヂ #QjtTlS4.

まささん

こんばんは。
コメントありがとうございます

テレビの存在は今さら語るまでもありません。どこで何が起きているかを詳細に把握することが可能な反面、世の中の流れを左右するほどの大きな影響力を持っています。すべての番組は送り手の制作意図が、一方的に我々の生活の中に入り込んできます。幸いそれを観る観ないは選択が可能なので、有効利用出来るように視聴者自身が心掛けなくてはと思いますね。

実は自分は2年半ほど前から「うつ病」と「パニック障害」にかかり、1年ほど休職しています。病状は回復傾向にあり、不眠症が改善されれば復帰が許される状態にあります。原因は上司との人間関係で、発症してから1年以上に渡ってその上司から「頑張れ」を言われ続けてきました。そのうち上司の姿を見ただけで動悸や発汗、過呼吸の症状が現れ、心療内科へ行ったところ
「あなた、このままでは危険だよ」
と言われて、強く休職を勧められました。たまたま親戚が訪れてきて平日に自分がいることを尋ねると、両親はウソをついてそれを隠そうとしました。自分の病気って恥ずかしいものなのかと、たまりかねて自分の口から「うつ」であることを告白しました。その日を境に一段と症状が悪化して、本当に辛い毎日を過ごしました。

病気の記録を残したいと思って始めたブログ、集まって下さったみなさんからのコメントに「頑張って」はありませんでした。今回もコメントを下さった「はらぐろさん」が初めての書き込みをして下さったのですが、そのうれしさは今でも忘れることが出来ません。相棒の「Rickyおやじ」も引きこもらないように、事ある毎に自分を外へ誘い出してはライブという場を設けてくれました。

山ほどの中身のない「頑張って」を自分自身が味わってきたから、「24時間テレビ」の空しさが気になっていた訳です。まささんの悲しい出来事は、言葉の大切さを教えてくれたのだと思います。人の命と秤にかけることは到底出来ませんが、まささんご自身がずっと言葉を大切に生きていかれることで、自責の念は少しずつ軽くなっていくのではないでしょうか。

まささんは素晴らしい写真を撮影されています。心の澄んだ方でないと、あのような一瞬は切り取れません。美しいものを美しいと思える心を持つことが、冷え切った世の中に一石を投じることになると思っています。

2007年09月03日(月) 02時23分 | URL | 編集

トコマ #GxlL9hY2

「24時間テレビ」に思う」

私も今年はこの番組に疑問を抱きました。24時間働けますか?がホントに良い事なのか、人工衛星から見た夜の地球。クッキリと日本列島が明かりで浮き上がっています。欽ちゃん世代が作ってきた今の日本ですが、環境面では最悪の日本になってしまいました。29歳の私の部下も「あのタレント達のギャラってまさか募金の中から出てないよね?」とサメタ御意見を。。。何か時代の変革を感じます。

2007年09月03日(月) 06時38分 | URL | 編集

ギターオヤヂ #QjtTlS4.

トコマさん

おはようございます。
ご訪問&コメントありがとうございます。

「働け、働け!」と尻を叩かれ続けてきたことは、中身のない「頑張れ」の裏返しのような気がします。資源や環境のことを省みずに働いてきたことで、今地球は悲鳴を上げています。異常気象で甚大な被害や尊い人命を失って、初めて事の重大さに気付くのが人間の悲しさです。

トコマさんの部下の方のご意見、番組自体がクリアになっていない故の正直なひとことだとでしょう。そこまではしていないだろうと思う反面、きっぱり否定出来ない部分はあります。疑問を持たれる番組は、やはりどうかなと思ってしまいます。

2007年09月03日(月) 08時49分 | URL | 編集

hirachoo #1wIl0x2Y

はじめまして

こんにちは

虹を渡って/ちゃーみー♪様ブログのコメントより参りました。

24時間テレビに関しては私も疑問を持っていました。
前コメントにもありましたが、「タレントのギャラ云々…」等の疑問に近いのですが、
24時間テレビもスポンサーが付いていますよね?(日産自動車等)
日テレってスポンサーからお金を貰って番組制作やタレントの起用を行なっているのだと思うのですが、
本来の筋で言えば、スポンサーから頂いたお金は全て寄付、タレントはノーギャラ、ってのが筋では?
と思ったりしていました。
(実際にどうなっているのかは存じないので、あくまで疑問ですが…)

全国にボランティアを募集して募金を集める、
色々な国や施設に行って障害を持った方々を取材し放送する、
世の中の人に「こんなに苦労して生活しているんですよ!」とアピールするのは結構ですが、では、その苦労している人たちを食い物にして金(視聴率)を稼いでいるのは良いのか?と聞いてみたいですね。

私自身には世間一般的な障害と言うのはありませんが、身内に特定疾患(俗に言う難病)患者がおりまして、進行性の病気であるため将来確実に身動きが出来なくなるという現実を病気の本人が直視しながら今を生きている状況です。
現在すでに手足の自由が効かなくなり“歩くのがやっと”という状態です。
年内には寝たきりとなってしまうであろうと予想されてます。

私も妻もその身内の世話をしなければならないのですが、もともと本人が「何かをする努力」をしない性格であったため、何をしてあげても不満の声をあげます。

食事を作っても、美味しくない(自分の好みに合わないと)と食べない。
世話をしてくれる人間の事情を考えずに物事を頼む。
これが夫婦の間などなら事情を説明して後にしてもらうとか出来るのですが、性格が性格なので、すぐに怒ったりイジケたりするので、こちらも気苦労がたえません。

すいません、話がそれて愚痴になってしまいました。

何が言いたいかと申しますと、健常者(あまり好きな言葉ではありません)はそれなりに考えて「何かしてあげよう」と思っているのですが、受け手側の立場に立ってと言われる場合があります。
もちろんそれは正論です。
“高いところから偉そうに救いの手を差し伸べてやる”なんて思いあがりはありません。
ですが、受け手の立場って受け手側の人しかわからない、
じゃあ誰かが受けて側の気持ちはこうなんだって言うのを教えてくれないと私みたいなボンクラにはわからないです。
そういうところをキチンと理解できるように番組を作るというなら24時間テレビの意味もあるとは思うのですが。

ちょっと文章が乱雑になってしまいました。
決して否定的な事を書きたかったわけではありません
(と言うより、記事の内容に同意しております。書き方の悪さは御容赦くださいませ)

24時間テレビみたいにただ頑張ってと言っていても“何も解決しない”ような気がするのです。
しかも、結局「募金」「募金」と、福祉の問題をお金の問題に摩り替えて、
番組を見て“募金”をすると良い事をした気になって、そこで思考停止してしますような気がして好きになれません。

個人的に欽ちゃんは好きだけど、欽ちゃんが100kmマラソンを完走したからといって誰も救われない。
(いや、TV関係者は救われるのかな?)

初めてのコメントでの乱文申し訳ありませんでした。

2007年09月03日(月) 16時03分 | URL | 編集

ギターオヤヂ #QjtTlS4.

hirachooさん

こんにちは。
ご訪問&コメントありがとうございます。

身につまされるお話です。毎日のケアはどれほどの体力と精神力を使われるのか、のほほんと生きている自分には申し訳なくて赤面しながら拝読しました。

思うように動かない手足に、お身内の方もとてもじれったい思いをされているのではと想像します。自分のようにほぼ生まれつきの障害者と、事故や病気で障害を背負われた方とでは、障害に対する受け入れ方にかなりの差があるように思います。進行性の疾患ですとご本人も昨日より今日、今日より明日というように時間経過と病状の進行を案じていらっしゃるかもしれません。不満の声を上げられるのも、性格ばかりがそう言わせているとは限らないのではないでしょうか。すみません、推測で申し上げてしまって・・・。

hirachooさんは介護をお仕事にされている方ではありませんよね。でしたら受け手の立場になって考えるのは、よほどの専門的な講義を受けなければ無理だと思うんです。虫歯の痛みはほとんどの方が経験されていると思うので、どれほどの痛みかはだいたい想像がつきます。でも、大病をした苦しみは当人にしかわかりません。「ケア」とひとことで言うのは簡単ですが、お世話をする方とされる方が意思の疎通を図りながらケアが出来ているというのは、ごくごく稀なのではないでしょうか。

「24時間テレビ」には番組としての起承転結はあるかもしれませんが、福祉や介護についての起承転結はまったく見えません。これまでコメントを寄せて下さった多くの方が言われているように、泣かせて募金を集めて福祉機器を贈呈して終わりです。これでは明らかにチャリティーなどという大看板を掲げての「お祭」です。

「生活は大変でしょうけど、日本中の視聴者が応援してくれていると思いますので、これからも頑張って下さいね」
タレントやレポーターの中身のない軽い言葉で、当人が本当に幸せになれると思っているんでしょうか。24時間あるのなら、hirachooさんが一番教えてほしいと思われているケアについての番組(患者さんの心理状態やその向き合い方等)こそが必要だと自分も思います。視聴率なんて厄介なものが介在しているから、上辺だけのヘンテコなチャリティー番組が支持されてしまうのでしょう。

貴重なご意見をありがとうございました。またいつでも気軽に遊びにいらして下さい。お待ちしています。

2007年09月03日(月) 17時57分 | URL | 編集

ちゃーみー♪ #fQIc5cww

こんばんは!

こんばんは!
私は、以前少し書かして頂きましたけど
色々、思う事はありますが
短いブログと言う場で誤解を生じてもいけないと言う思いがあり
今回も、共感する事が沢山あったのですが
思いを全ては書ききれないので
中途半端になるのも嫌で
一旦そのまま、帰ってしまいましたが
又、戻ってまいりました~v-410
難しい問題です!
殆どは、ギターオヤヂ様や、皆様の?
と思われる、思いと近いと思います。
で、ちょっと時間が無いので
中途半端になりますが(又、後日書きにくるかもしれません!)
hirachoo様、のコメントで
>「こんなに苦労して生活しているんですよ!」とアピールするのは結構ですが、では、その苦労している人たちを食い物にして金(視聴率)を稼いでいるのは良いのか?
と、いう所を今、読ませていただいたので
確かに、そういう疑問も大いにあります
ただ、それとは別に
現状を、知らない方も沢山います
そうやって、テレビや、色んな場で
知る事で、初めて現実を突きつけられると言うか
知ると言うか、じゃ~知ってどうするのか?
と言われれば、知った中で
自分が、少しでも何か世の中にできる事は?
何が出来るのか?そうやって、考える事も
必要な事で、そこから、又何か本当に約に立つ事も
生まれてくる事もあるかもしれないし
もちろん、見ました!泣きました!で、見終わったら
ハイ!それで終わり!何も後はしません!
考えません!と言う方も多いでしょう?
それも、どうか?と思います。
ただ、知らなければ、何も始められないと言うのも
あるかな~?なんて思います。
すいません!全てのコメント、コメントのお返事を読んでいないまま
書いてしまって・・・(やっぱり消そうかな???)
とりあえず、残して、又後日来ます
中途半端な奴ですいません!v-435

2007年09月03日(月) 18時52分 | URL | 編集

ギターオヤヂ #QjtTlS4.

ちゃーみー♪さん

こんばんは。
コメントありがとうございます。

「やっぱり消そうかな」なんて考えないで下さい。
後日改めて書いて下さるならば大歓迎ですよ。

「ドキュメンタリー番組」というのなら、ありのままを姿を紹介すること。「チャリティー番組」というのなら、募金だけに執着しないで個々に抱えている問題やその対処法まで掘り下げて紹介すること。それを観て、自分に何が出来るだろうと考えてくれた人がいれば、それだけでも日本はまだまだ捨てたもんじゃないって思います。自身が生きていくことで精一杯というのが当り前の世の中ですから。もう一歩進んで実際に手を差し伸べようとしてくれる人は、あらゆる手段を使って自分に出来ることを探し出すのではないでしょうか。

2007年09月04日(火) 00時56分 | URL | 編集

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2007年09月05日(水) 17時57分 | | 編集

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2007年09月06日(木) 23時02分 | | 編集


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