机上旅行 3

12:57 長万部駅到着。函館本線に別れを告げ、この先は室蘭本線~千歳線を走ります。この路線は、鉄の町・室蘭、製紙工場が立ち並ぶ苫小牧や千歳空港を通過する、言わば花形路線となっており、特急や急行が頻繁に往来しています。いち早く複線化や電化を完了したことが、その重要さを証明しています。
一方「山線」と呼ばれる函館本線の長万部~小樽~札幌間は、ニセコ以外に目立った観光地もなく、複線化はおろか電化もされていない状態。まさにこの長万部が、陰と陽の分岐点となっているのです。

1分の停車で、「おおとり」は先を急ぎます。利用者が多いため、これからは頻繁に停車を余儀なくされ、平均速度が大幅に落ちることになります。
13:27 洞爺 13:57 東室蘭 14:11 登別と停車し、両側に太い煙突が何本も見え隠れしてくると、苫小牧に到着です。このところこの地域の発展は目覚しく、港湾付近には大手製油所も進出し始めました。札幌への高速道路も整備され、花形路線と言えども、今後JRは厳しい競争を余儀なくされるはずです。

14:40 競走馬の故郷・日高へ向かう日高本線と分かれ、「おおとり」は先を急ぎます。しばらく直線区間となるため、ウトナイ湖に源を発した湿地帯を100Km/hで疾走。時たまきしむ音が聞こえ、老体にムチを入れている感が否めませんでした。

14:57 千歳空港駅に到着。この時代には画期的な、「空港に直結の駅」を謳い文句としていました。が、現在の新千歳空港のように地下に列車が乗り入れている訳ではなく、駅舎から国道36号線と、広大な空港駐車場を跨ぐ200mの専用通路を通らなければ、空港内に入れないというものでした。おまけにカートが用意されていなかったので、重い荷物を持った旅行者には、痛し痒しの通路だったそうです。

千歳空港駅を出発し、しばらく走ると森が消え、住宅の数が増えてきました。すると「おおとり」の俊足ぶりは衰え、まもなく札幌に到着する旨の案内放送が流れました。乗客の大半は網棚から荷物を下ろし、身支度を整え始めましたが、「おおとり」にとっては札幌は単なる通過点。全行程の43%を走破したに過ぎないのです。きっと札幌では、網走へ向かうたくさんの乗客を飲み込むに違いありません。

15:28 札幌駅1番線に到着。ホームは、乗降客でたちまち溢れ返りました。「おおとり」は、6分の停車時間に車内販売用の荷物を積み込むと、道東を目指して出発していきました。

北の玄関口であるはずの札幌駅ですが、老朽化が進み、ホームの数も足りなくなってきました。来年青函トンネルが開通すれば、本州からの寝台列車が数多く運転され、新千歳空港が開港となれば、当然連絡する列車が増発されるでしょう。それを緩和するために、現在駅の北側では全体を高架化する工事が急ピッチで進行していました。これが完成すれば、4面8線のホームが5面10線に生まれ変わり、1・2番線は将来のために新幹線の規格に対応させるのだそうです。

さあ、7番線にこの旅の最後の列車、急行「宗谷」が入線してきました。昭和40年代に製造された旧型のディーゼルカーが5両連結され、稚内までの約400Kmを6時間30分かけて走破する、急行とは名ばかりの鈍足列車なのです。
16:28 約50%の乗車率で札幌駅を出発しました。旭川までは電化されていて、最速の電車特急「ライラック」は、1時間36分で駆け抜けるところを、「宗谷」は、2時間(停車駅は同一)を要し、非常に肩身の狭い思いを強いられる区間です。

母なる川・石狩川を渡り、石狩平野の中央に位置する岩見沢駅では、わずか30秒の停車。その後普通列車の少ない路線をカバーするように、滝川・深川と停車し、18:22 旭川に到着しました。
旭川は、北海道内でも2番目の規模を誇る駅で、これから向かう稚内への宗谷本線、網走へ向かう石北本線(実際は2駅先の新旭川)、そしてドラマ「北の国から」で有名な富良野線の分岐点となっています。

18:25 出発です。この指定席の車両も、だいぶ空席が目立つようになって来ました。車内販売の業者が積み込んだばかりの「蝦夷ほたて弁当」600円を買い、新鮮なホタテの味に舌鼓を打ちました。旅の醍醐味です。
「駅弁ばかりで飽きないのか」
とよく聞かれますが、駅の立ち食いソバはほとんど利用したことがありません。列車に揺られながら、その土地の駅弁の包みを開き、食べる。これが、ささやかな自分のこだわりなんですね。

19:47 深名線・名寄本線の分岐駅・名寄を出発した頃には、外は漆黒の闇。この車両の乗客も10人ほどになってしまいました。自由席の様子はわかりませんが、この時間に北を目指すのは、土地の人か自分のように物好きな旅人の他にはいないでしょう。車内は話し声も聞こえず、ただレールの繋ぎ目の音が、規則正しく響いているのみでした。

20:40 音威子府(おといねっぷ)で天北線と分かれ、21:54 幌延 22:12 最後の停車駅・豊富を出発。しばらくすると、どこからともなく潮の香りがしてきました。ここから約40Kmは、日本海に沿って、しかも海岸線ぎりぎりに北上して行きます。サロベツ原野の真ん中を走り抜け、昼間なら利尻島や礼文島が、驚くほど近くに見ることが出来ます。
列車は右へ左へとコースを変え、海岸線から遠ざかると、稚内到着を知らせる放送が流れました。眠っていた乗客たちは大きく伸びをして、網棚から荷物を下ろし始めました。窓の外を眺めるでもなく、淡々と下車準備を整えている乗客たちは、やはり土地の人なのでしょうか。

23:01 この日の最終列車として、急行「宗谷」は稚内駅に到着しました。上野を出発して、実に24時間41分の旅が今終わりました。乗客のほとんどは感慨に更ける訳でもなく、そそくさと改札口へ向かいます。ホームに残っているのは、駅名標をバックに記念撮影をしている3人組と自分だけ。その3人組も、ペンキの剥げかかった「ようこそ最北の町・稚内へ」と書かれた看板に目を留めると、指をさして何やら話をしながら改札口へ消えていきました。

列車の前方20mで、ぷっつり線路は途切れています。日本の最端が終着駅なのは、ここ稚内だけ。名実ともに日本の最果ての駅なのです。大きな看板よりも、この情景はそのことを如実に物語っています。
それを見たいがためにここまでやってきた自分を、眠りについた町と遠くに聞こえる波の音が、静かに迎えてくれているような気がしました。     (終)

-あとがき-
長ったらしい机上旅行記を、もし最後まで読んで下さった方がいらしたら、お礼を言わせて下さい。
当時の時刻表と、自身で書き留めたメモを材料に、記憶を辿って記してみました。
国鉄がJRとなる3年前の1984年に、国鉄の全線走破を終えました。大赤字の国鉄ではありましたが、長距離の特急・急行が次々と大都市を出発していく様は実に圧巻でした。
「そんな時代に戻りたい」
叶わぬ望みですが、当時を思い出したくなったら、また時刻表とメモを引っ張り出して書いてみようかと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

コメント

シチューパン #3p3E4xCk

行っちゃいましたよ。北海道。
行きたくてまだ行ってはいない宗谷の駅まで、読みながら北海道の中を、列車で旅してしまいました。
10年位前までは、毎年、スキーのために北海道へ行っていました。しかし、どんどん時間がなくなり、北海道より近場に行くようになり、大好きな地なのに、行く機会がなくなってしまいました。
空港からの移動は電車でしていたので、なんだか自分の中の風景とシンクロしてしまいました。
知り合いに鉄道オタクの子がいます。
この旅をプリントアウトしてあげても良いですか?

2007年01月23日(火) 05時58分 | URL | 編集

ギターオヤヂ #QjtTlS4.

駄文でよかったら

北海道までのお付き合い、ありがとうございました。
特にシチューパンさんの中にある風景とシンクロ・・・うれしかったです。

次第に鉄道と関わる機会が減ってきています。
お知り合いの鉄道好きのお子さんに、楽しめる時にとことん楽しんでほしい、と伝えて下さい。自身も鉄道も、日々変化していますのでね。
また、駄文を読んでいただいての感想を聞かせてもらえると、このオヤヂ、とっても喜ぶと思います。

2007年01月23日(火) 21時10分 | URL | 編集

はらぐろ #mQop/nM.

長旅、お疲れさまでした。

私も、昔を懐かしむ年になってしまいました。

ギターオヤジさんも。。ですね。。。

2007年01月24日(水) 21時14分 | URL | 編集

ギターオヤヂ #QjtTlS4.

はらぐろさん

昔を懐かしく思える・・・歳ですよ、完璧に(笑)
ただ、人間が出来ていないので、時間が経過しても
やっぱり懐かしく思えないこともありますしね。

はらぐろさんは、旅をされますか?
されていたら、忘れられない風景や出来事がありますか?
もしあったら、教えて下さい。

2007年01月24日(水) 22時29分 | URL | 編集


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