最終面談

昨日復職への最終面談のために会社へ出掛けて来ました。11月9日に行った精神科医とカウンセラーによる面談から20日、少し時間がかかり過ぎかなと思いましたが、それだけ慎重に検討してくれているのだろうといい方に判断をしました。今回はその報告を受けて、産業医が復職への最終判断をする面談です。

午後1時半に診療室に入ると、すぐ後から組織変更前の所属部署の部長がいらっしゃいました。ただただビックリ。
「イヤかもしれないけど、俺にも話を聞かせてくれ。」
思いがけない展開に、緊張がほぐれてきました。部長はフォークソングが好きで、自分のライブに何度も足を運んで下さったり、同じ写真部員として活動しています。はたまた自分のレガシィを見て、今年の4月にグレードと色がいっしょのB4を購入しました。これまでに何かある毎にお話をする機会が多かった上司です。

面談の内容はあくまでも「復職」を前提としたもので、自分が復職を希望する部署や復職した場合の勤務時間について、フルタイムで就業出来るのか或いは半日なのか、希望以外の部署へ異動となった場合に条件等があるかどうかというものでした。
前回の面談後に記事としても掲載しましたが、同じ部署の異なるチームで就業したいという気持ちに変わりはありません。当然発症の原因となった上司とも顔を合わせる機会もありますが、直属の上司でなくなるだけ気分的にはかなり楽になります。ただ人がひとり入るということは、他の方の業務にも多かれ少なかれ影響を与えることになります。その調整を行うことは容易なことではありません。こればかりは人事や部署の上司にお任せするしか・・・。

就業時間については医師が、
「復職が決ってからでもいいと思う。2週間に1度のカウンセリングは続けないとならないんですよね。様子を見ながら決めていただいて構わないと思います。」
ということでした。身体的には8時間勤務もこなせる気はしますが、何せ浦島太郎状態で戻るわけですから、そう考えるとリハビリの期間も必要なのかとも思ったり。

希望以外の部署へ異動となった場合、今回の休職中に脚力が相当に落ちてしまったことから、あっちこっちと歩き回る部署では他の方々に迷惑がかかるので、ご配慮をお願いしますと医師に伝えました。

面談の時間は45分、最後に医師からは
「前回の面談の報告や今回のお話の内容から、復職には支障がないと思います。これからその旨報告書を作成して人事へ提出します。ですからすぐ来週から出社せよということにはなりませんが、あくまでも状況が整えば2週間後ぐらいにはご連絡が出来るかもしれません。またそれからということにもなるかもしれませんな、流れとしてはこのように進めたいと思います。部長さん、いかがですか?」
「私も彼の希望に沿うことが出来れば1番だと思いますが、人事から連絡が届いてからアクションを起こすことになりますので、その後の部内の調整が必要になってきます。もちろん可能な限り努力はします。」
と、言って下さいました。

面談を終えて診療室から出ると、茶でも飲もうやと誘っていただき、喫茶室で20分ほど取り留めのない話をしました。部長はこのブログを読んで下さっているそうで、白鳳渓谷の写真がきれいだったとかライブはやらないのかという内容。驚きました。会社内でこんなにリラックス出来たのは本当に久しぶりでした。そして別れ際
「ここまで回復して良かった。長かったけど俺も安心したよ。」
と言って下さいました。
人によって想像を絶するストレスを与えられることもあれば、またこうして人に助けられることもあるんだということを痛感しました。

会社からの連絡を、ひたすら待つことにします。
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今日は黄色で・・・

クルマで20分ほど走ると、住宅地の真ん中を縦断する道の両側に、黄色く色づいた銀杏が整然と並んでいる場所があります。1週間ほど前に出向きましたがすでにピークは過ぎていて、何ともくすんだ色の写真となってしまいました。

この地域には「クレマチスの丘」と称される一角があり、「ヴァンジ彫刻庭園美術館」、「ベルナール・ビュフェ美術館」、「木村圭吾さくら美術館」、「井上靖文学館」という複合文化施設が点在していて、週末には結構に賑わいます。素晴らしい庭園があるようですが、有料だと地元の人間て以外にそういう場所へは行きませんよね(オヤヂだけ?)

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UPしたものの何とも掴み所のない、しょーもない写真・・・だなぁ。

三つ星ってどんだけ~

「ミシュランガイド東京2008」が出版されました。この中で「三つ星」に選ばれたのは8店、「二つ星」が25店、そして「一つ星」が117店。合計150店が収録されています。「三つ星」の称号が与えられた店は連日取材を受け、その反響もあって年内の予約はどの日も満席だそうです。またこのガイドブック自体も売り切れの書店が続出したそうで、何とも珍しいもの好きの日本人らしい騒ぎとなりました。

1年半をかけて調査員が料理の味や素材の質、サービスに至るまで詳細に調べ上げ、1,500店の中から今回の150店を選出したのだそうです。そのエネルギーというかガイドブック発行に至るまで行程は、気の遠くなる時間と労力が必要だったはずです。世界に冠たる「ミシュラン」のガイドがアジアで初めて東京版を出したことは、東京が美食の街と認められた証しなのでしょう。

しかし、オヤヂ的にはどんだけ~という言葉しか浮かんできません。もともと格付に対してはあまりいい印象を持っていないので、この異常人気はミシュランの一味に踊らされているという感じしかしないんです。「三つ星」に選ばれた店は、どこも目ン玉が飛び出るほどの料金。とびっきり上質の素材を、それなりの料理人が料理をすれば美味しいに決ってるじゃないですか。じゃ、リーズナブルなお店は料理がまずいの? とんでもない話です。みなさんの中にもお気に入りのお店が一つや二つは必ずあるはずです。味が自身の好みにぴったりだったり、オーナーやマスターの人柄に惹かれて通っている方もいらっしゃるでしょう。万単位のディナーと一概には比較出来ませんが、結局それぞれの好みで自分だけの「三つ星」があればそれで十分だと思っています。

ミシュランガイドに疑問を持つ料理人もニュースで紹介されていました。
「外国人に日本料理の味がわかるのか?」
「カウンターでの作り手と食べ手の会話も食事の大切なプロセスなのに、そういう習慣のない外国人はどう評価するのか?」

実際星が付いたある日本料理店は、その申し出を断ったそうです。
「星に縛られるより、自由に作って楽しく食べてほしいから。」

地元フランスでも異変が起きているそうです。もちろん歴史あるガイドということは認めた上で、
「考え方や選出方法が古臭くて、現代に則していない。」
という理由で、冷ややかな反応をする人が年々増えているんだそうです。TBS「ブロードキャスター」では、20年以上「三つ星」を守り続けてきたオーナーが今年からそれを放棄して、リーズナブルで誰でも気軽に食事出来るレストランに方向転換した事例を紹介しました。
「格式を維持するためにナプキンのノリ付けだけでも年間250万円かかる。それがお客様に跳ね返るのでは誰のための料理かわからなくなってしまう。いい素材を使った料理をたくさんの人に楽しんでもらいたい。」
と、星を捨てたことに胸を張っている姿が印象的でした。以前はディナーの平均価格が6万円だったのを1万5千円程度に設定したところ、若者や今までのお客も敬遠することなく続けて通っているのだそうです。

ランク付けと言えば「ミス○○コンテスト」、これもやはりミシュランの「匂い」がしてきます。これこそ何の意味もないコンテストではないかと・・・。何を基準に選出されたのかわからない審査員が美しい女性を選ぶこと自体、大金を使って単なる個人的な趣味に走るイベントにしか映りません。容姿・スタイル・性格の好みは人それぞれに違うはず。しかも、人が人そのものをランク付けするなんてあってはいけないことだと思います。そんなお金があるのならば、今日の食べ物にも事欠く国の子供たちのために遣うことって出来ないんでしょうかね。

こういった格付け・ランク付けが大手を振って世の中を歩けば、やがて子供たちへの選別や色分けに通じるのではと心配しています。ひとりひとりの個性を見つける時間がなく、数字だけの評価で次の段階へ回してしまいがちな今の教育制度。加えて教再審の迷走下で教育された子供たちに向って、「今の若いモンは・・・。」と断罪してしまう大人の責任は大きいと思います。

ミシュランガイドに限らず、ブームに流されやすい日本人。美味しいものを食べたいという気持ちはよくわかりますが、マスコミに煽られてガイドブック探しに我を忘れて奔走したり、星の付いたレストランの予約に一喜一憂する姿に、オヤヂはただただ首を傾げてしまう訳です。

白鳳渓谷の紅葉

静岡県静岡市から山梨県韮崎市へ通ずる国道52号線。山梨県身延町から山間へ入り野呂川沿いに南アルプス林道を北上すると、白鳳渓谷という紅葉の名所があります。標高は800mから2,000mと差があり、ブナ・カエデ・カラマツなどの樹木が様々な色を演出します。途中の奈良田には湯治場や山岳写真家・白旗史朗氏の写真館があり、渓谷へ入る際の休憩ポイントになっています。

その奈良田から道は一気に細くなり、舗装もなくなります。ところどころすれ違う幅員もなくて、深い谷底を横目に見ながらの譲り合いは、シーズン中には大渋滞となります。そんな山道を1時間半ほど走ると、第2の高峰・北岳(3,193m)の登山基地となる広河原に到着します。ここには広い駐車場が設置されていて売店やトイレ、遭難救助用のヘリポートもあります。普段はひっそりとしている場所が、この時期はものすごい数の観光客でごった返します。その代わり視線を少し上げると、四方を囲む山の紅葉が素晴らしい。もちろんここへ辿り着くまでにも絶景を堪能出来ますが、大きく開けた開放的な空間360度がすべて紅葉というのは圧巻です。

自分は林道を走るのが好きで、この場所はたまたま見つけました。その時は真夏だったので秋に訪れたらどんな景色が見られるだろう・・・そこからハマってしまいました。今回の写真は10年ほど前にリバーサル(ベルビア)で撮影したものです。4年連続で訪れましたが、1番鮮やかな時のものです。プリントすれば未だに当時の色彩が甦ると思いますが、スキャンするとやはりくすんでしまいました。この頃にデジカメがあればと思いました。
「だったら行けば?」
と言われればその通りなんですが、とてつもなく神経を遣う道なので今の体力では自信がありません。

この広河原から対岸へ渡り、夜叉神峠を越えて再び国道へ戻ります。こちらは全線舗装されているのでそれほど神経質にはなりませんが、路線バスが運行されているのでたまにすれ違いで後退を余儀なくされる時もあります。すでにこの時期は冬季閉鎖されていて、GWまで長い眠りに入ります。

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道具への拘り(楽器編)

風邪でボ~ッとしながら思いついたことがありました。これまで趣味についてあれこれ記事を書いてきましたが、現在までにどれぐらいの道具を使ってきたんだろう、何に拘って選んできたんだろう。改まって思い返すこともなかったように記憶しています。みなさんにご紹介しながら、自分もいっしょに振り返ってみようと思ったわけです。

第1回は「楽器」アコースティックギターについて書きたいと思います。最初にギターを購入したのは13歳の時でした。リハビリのために施設に入っていた時、ギターと歌のメチャクチャ上手い男が入所してきました。彼がギターの師となるわけですが、その時のギターはクラシックにスチール弦を張ったもの。知識もないのでそれが1番だと思い込んで、親にヤマハ製のクラシックギター(9,000円)を強請り、同じ様に弦を張って練習をしていました。

中学3年の時に普通中学へ編入しました。小学6年の時に友達と別れて久しぶりの再会でした。その中の一人が井上陽水のファンだと知り、自宅へ遊びに来た時に何気なくギターを弾いたことにえらく感激されてしまいました。文化祭へ出たら?というひとことに調子付き、大したウデもないのに出ることを決めてしまいました。ところが、愛用していたギターは長年のスチール弦の張力でネックが反ってしまい、すぐにチューニングが狂ってしまうという悲惨な状態に。文化祭はもう少しマシなギターで演奏したいと思い、またまた親に誕生日というお題目をくっつけて、モーリス製の「W-25(25,000円)というドレッドノートタイプのフォークギターを手に入れました。音の響きとコードの押さえやすさに目からウロコ状態。無事文化祭のステージを乗り切ることが出来ました。ここで相棒リッキーと知り合うことになります。

このギターは高校の文化祭やクラブ活動で本当によく使いました。今から思えば大した音は出なかったと思うのですが、自分にとっては宝物でした。
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高校の文化祭での1コマ。当時ギターを飾るのが流行っていたんです。オヤヂにもこんな時がありました。

しかし、物欲はまたまた顔を出してきました。大学が東京だったので、暇さえあれば御茶ノ水の楽器街へ足繁く通っていました。そこでアメリカのオベーションというギターに出会いました。トップ(表)は木ですがバック(裏)はグラスファイバー。当時南こうせつが「アダマス」という最高峰のギター(1,000,000円)を使っていて、初めてアコースティックギターにアンプを組み込んだ画期的なものでした。それが頭にあったので、どうにかしてオベーションを手に入れたいと思い、バイトで稼いだ僅かなお金を頭金にして10回の分割で購入。機種はアンプも付いていないずっと安価な「グレンキャンベルアーティスト」(200,000円)でした。

ところが、このギターには泣かされました。もっとも自分の不勉強が原因なのですが、グラスファイバーは目新しいばかりで、アンプがなければまったく音が前へ出て行かないことが判明。生音はどこかペタペタッとしたもので、「ジャリ~ン」とした憧れの音にはほど遠いものでした。残ったものはショックとローン、ライブハウスで鳴らないギターを弾いてバイトしながら、完済しても次のギターが買えずに4年を過ごしました。
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鳴らず響かずのギターを抱えて、ライブハウスで歌っていた頃です。19歳でした。

卒業後地元で就職してからというもの、新しいギターを買うために関係書を読み漁って猛勉強しました。メーカーの歴史や特色、木の材質や共鳴の仕組みまで、論文が書けるんじゃないかというほど熱くなりました。そして月に一度は東京の楽器店へ出掛けて行って、実際に音を確認していました。
ある日、地元でライブを行う際にお世話になっていた楽器店の店長から、いいギターが入ったから弾いてみないかという連絡がありました。それはアメリカのギルドというメーカーの新作ギターでした。弾いてみると低音が良く響き、強く弾いても弦のビビリはなし。材質はスプルースという上質の木で、木目も綺麗に出ていました。とにかく非力なオベーションから比べると歴然の差。当然ながら値段もよく、何と520,000円という高額でした。果たして自分のレベルにふさわしい楽器なんだろうかと1ヶ月ほど悩みましたが、音楽の仲間からの薦めもあって、この「D-70」を購入しました。その後は本当によく弾き込みましたが、ほとんど日本には入ってこない機種だったらしく、メンテナンスの際には神戸にある代理店へ送り、部品の到着を待って作業を始めるために、戻ってくるまでに2ヶ月ほどかかりました。さだまさしも一時期このギターを使用していました。
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地元の音楽祭へ参加した時の写真です。30歳の頃かな。ギルド「D-70」は大活躍してくれました。

結局このギターは18年間手許にありました。木も枯れて乾いたイイ音になってきましたが、さらにイイ音を求めたくなってきました。アコースティックギターを弾く者(偉そうですが)にとって、アメリカ・マーチン製のギターは一度は手にしたい憧れの存在です。学生時代、再結成した「かぐや姫」のライブで聴いた正やんの「D-45」の音色で、「いつかはマーチン」と心に決めていました。

サイトで知った楽器店「BLUE-G」、ビンテージギターを扱う専門店です。そこへ出掛けて行って1980年製造の「D-41」を、店長に探してもらうことにしました。「D-45」はとても手を出せるシロモノではありません。1ランク下の「D-41」ですが、倍音の素晴らしさ、あくまでもきらびやかで奥の深い艶のあるトーンは、時には弾き手さえ選ぶこともあります。とても量産品とは思えない細部の丁寧な作りを見れば、思わず納得してしまいます。特に1980年の「シトカスプルース」の木は大変質が良く各雑誌でも取り上げられていましたが、それだけに程度の良いUSED品はなかなか市場に出て来なかったんです。
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1ヵ月後入荷したという連絡があり、さっそくお店へ。すでに20年を経過しているのでスプルースは黄色く焼け、弾くと鈴のような音がボディを伝わり、まさにマーチンの音そのものでした。アメリカではセミプロが使用していたワンオーナー品だということでした。価格は450,000円。ギルドの下取りが250,000円なので追い金は200,000円なり。その場で決めました。調整などで手許に届いたのは2週間後、それ以来大切なパートナーとして現在に至っています。購入してからすでに7年が経過しましたが、木が枯れてますます乾いた音になっています。

アコースティックギターはアンプではなくマイクで拾うもの、自分にはそんな拘りがあります。ごまかしの利かない、原音が納得のいく楽器を使いたい。そう思ってマーチンに辿り着きました。恐らく一生ものになると思います。先にくたばるのはオヤヂかギターか・・・ってところでしょうか。最後まで読んで下さってありがとうございました。
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2006年11月に行った「FFR」ライブでもマーチンは大活躍。リッキーのギブソン「DOVEモデル」もイイ音してました。左は音楽監督の渡辺総生氏。

木枯らしに泣いた少年野球団

30,000アクセスについて、遊びに来ていただいている方々から、拍手でのコメントをいただきました。ありがとうございます。

オヤヂは昨日から風邪が本格的になって、関節の痛みと倦怠感で動くことが出来なくなってしまいました。何とも情けない限りですが、昨日の冷たい木枯らしの中での「ティーボール県大会」応援は本当に辛かったんです。帰ってきてすぐ寝ればよかったんですが、相棒と稽古を2時間ほど行ったためにさらに悪化してしまったようです。今日1日おとなしくしていたので、ようやくパソコンの前に座れるようになりました。みなさんのブログにもお邪魔出来ずに申し訳ありません。

その「ティーボール県大会は前述のように10mを越す強風の中、県内各支部で1位となった計16チームが参加して行われました。野球場は小高い山の上で吹きっさらし。とてつもない冷たい風が身を刺して、クルマを降りた時からすでに体には変調が・・・。

外野の芝生部分をレフト側とライト側に分けて試合を行うのですが、レフト側は思い切り風下になるので絶対避けたいところでしたが、何という運の悪さでしょう。たとえ1試合目を勝っても、次の試合も同じ場所での対戦となってしまいました。長打を売り物にする野球団にはちょっと不利かな。それに、オヤヂにとっても向かい風はキツイぜ~。

1試合目は「小笠東イーグルス」。小柄な選手が多いのに加えて、お母さん選手もなかなか長打が出ないのですが、少年野球団の守備がどうにも良くありません。フライが風に流されて・・・というのでなく、普通のゴロの処理が上手く出来ません。塁間が短いのでちょっとでもお手玉するとセーフになります。しかも試合は3回で終了なので、大量失点は命取りとなります。
案の定守備の乱れが原因で、2回までに5点差をつけられました。嫌な雰囲気が漂い始めた最後の攻撃、ランナーを溜めてから選手1名とふたりのお母さん選手が逆風を物ともしないホームランで、何と逆転サヨナラ勝ちを収めました。得点は18-16。薄氷を踏む勝利でした。

15分の休憩の後すぐに2回戦が始まりました。相手は優勝候補のひとつ「相良スワローズ」です。ジュニア戦でよくその名前は耳にしていました。そしてその理由は、プレーボール直後に分かりました。フライは戻ってくるので長打は封印し、徹底的に野手の間をゴロで狙い打ちしてきます。最初ライトに体を向けて野手がそちらへ移動すると、すかさず三遊間を狙って鋭いゴロを打ってきます。うちの選手たち、ただでさえ守備でドタバタ状態なのに、いいように翻弄されてあれよあれよという間に大差をつけられてしまいました。
だったらこちらも同じ様にと試みるのですが、鉄壁の守備に阻まれたり力が入ってフライを打ち上げてしまい、なかなか加点することが出来ません。最終回には守備も良くなって何本か長打も出ましたが時すでに遅し。19-12で敗退しました。これで今シーズンの公式戦は終了、最後は完敗で終わりました。今朝の朝刊で知ったのですが、
この「相良スワローズ」優勝してました。
やはりそういうチームってどこか違うんです。

負けは口惜しいですが、こういうチームと試合が出来て選手たちは幸せだったかもしれません。
3月から始まったシーズンも公式戦はすべて終了し、年内はあと2つ練習試合を残すのみとなりました。決して納得のいくシーズンではなかったけれど、終わってみればあっという間でした。ますます寒くなるので、ケガや風邪に注意して残る活動日を頑張ってほしいと思います。

(ここだけの話)刻々と関節の痛みが増してきたオヤヂは、早く帰ることが出来て安堵しました。でもこの体たらくです。今夜も早く休みます。トホホ・・・。

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大砲・望月選手は、予選本選併せて7本の本塁打を記録しました!

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これまで本塁打を記録していなかった山田選手も最終回に1発!

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守備には泣かされました~。風?それとも実力?

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安定したバッティングをする芝山選手。この日も本塁打を含む長打を連発しました。

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普段はおとなしい岡沼選手もシュアーなバッティングを披露。応援席から大きな拍手が贈られていました。

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菅沼選手のジャンピングキャッチをオヤヂがキャッチ! 「オヤヂもファインプレーだぁ」と、周りのオヤヂたちから褒めていただきました(笑)。

30,000アクセス越えていました

先ほどコメントを書いている時に気付きました。みなさんに遊びに来ていただいてうれしいです。ありがとうございます。記事も大したことは書いていないのに、いつも温かいコメントをいただいて、常に前を向いていられる力の糧になっています。

自分がお邪魔しているみなさんのブログからみれば、何だか意味不明で説得力や言いたいことがぼやけてしまっていて、ひたすらお恥ずかしい限りです。ただ、今の自分に1番足りないと思っている「書くこと」について大切な機会を与えていただいているので、何とかパソコンに向かうことが出来ます。

明日は公式戦ですが、小康状態を保っていた風邪の症状がまた悪さを始めました。すでに薬を飲みましたが、関節の痛みが出てきました。こうなると黄色から赤色へと信号が切り替わります。ぼちぼち休まないと・・・。
今夜も冷えてきました。みなさんもご自愛下さい。

さあ、最後の公式戦です

長男の所属する「清水町少年野球団」、これまでに芳しくない成績ばかりをお伝えしてきましたが、先日県内から選抜された40チームが参加する「学童野球浜岡大会」で、初めて公式戦での1勝を挙げました。スコアは5-0の完封。そして次の試合も3-0での完封勝利! ベスト8に残りました。それが11月3日。往復4時間をかけて一旦戻り、翌日再び2時間をかけて御前崎市へ向かいました。オヤヂはその日小坂Pの披露宴に出席していたので、リッキー共々遠征先からの連絡を待っていたんです。これまで1勝すらしていないチームが準々決勝まで駒を進めるなんて、もしかしたらもしかしてしまうかも・・・って思ってました。そして、式からの帰り道にメールが。
「0-1で惜敗。よく抑えたけど相手も強かった。みんな頑張ったよ。」
やられたか~って一瞬叫んでしまいましたが、次の瞬間感じたことのない充実感でいっぱいになりました。今年のチーム状態からすれば上々の出来です。「スタレビ」のライブから帰宅して、長男とガッチリ握手しました。本人はもうボロボロでしたが(笑)。でも、これで監督やコーチ、親御さんたちもホッとしたはずです。レギュラーチームのシーズンが終りました。

そして、次は球団として最後の公式戦「学童野球ティーボール県大会」に、4年生以下の最強ジュニアチームが臨みます。ルールで選手の母親3名が加わることが出来ますが、この母親たちがまたスゴイ。みんな学生時代はソフトボールの選手だったので、飛距離が半端じゃないんです。打線好調のジュニアたちにこのメガトン級の母親たちですから、きっといい試合が見られるはずです。プレーボールは18日午前10時30分。もちろんオヤヂもカメラ片手に応援に行きます。

これに先立って先日夜間練習を行いましたが、「スポーツ報知」の記者が取材に訪れ、1時間に渡ってキャプテンへのインタビューや写真を撮っていきました。ところが選手も親御さんも緊張しまくっていて、ティーのボールを空振りしたり守備でもファンブルしたり。
「たくさん撮りましたから、カッコイイ写真を使わせてもらいます。」
と、記者さん笑いながら答えてくれました。

その記事が、11月7日付の地方版「しずおか報知」に掲載されました。朝1番にコンビニへ走り、2部購入。約束どおりいい写真と素晴らしい記事で紹介されていました。決してヨイショされている記事ではないので、胸を張って記念に残せる新聞となりました。
さあシーズン最後の公式戦は、うれし涙で飾れるでしょうか。

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11月7日付「スポーツ報知」の「しずおか報知」に記載された記事です。写っている母親3人が最強なのです。

12月以降の予定が決りました

ありがたいことに、「歌付き教育講演会」のオファーや問い合わせが増えてきました。先日リッキーとこれからの活動について、テーマや曲目等の整理をしました。聴講される方々の年齢が下がっていることから、これまでのフォークと最近の曲を併せてやってみようということになりましたが、なかなかギター2本で演奏出来る演目って難しい。もうちょっとテクニックがあれば問題ないんでしょうけど、何せいつでもどんな時でもいっぱいいっぱい。
「コブクロなんてどう?」
半信半疑でリッキーに振ってみましたが、反応はイマイチ。どうも彼はあみんの「待つわ」を歌いたいらしいのですが、いかんせん「汚いあみん」「醜いあみん」になりそうなので却下しました。もし読んで下さった方で、オヤヂ二人が歌ってもおかしくない曲があったらご紹介下さい。

12月以降の予定をまとめてみました。
・12/1 「有賀忍先生体験授業」 (相模女子大オープンキャンパス)
 「やだもん」の作者・有賀先生の授業に参加します。

・12/3 「PTAの在り方について」 (富士宮市役所大会議室)
 市内PTA役員及び保護者対象 200名

・12/16 「スポーツ少年団はどこへ行く」 (裾野市体育館講義室)
 市内スポーツ少年団役員及び保護者 100名?

・1/26 テーマ未定 (愛知県市立刈谷小学校体育館)
 PTAの勉強会だそうです。 対象者数未定

・2/2~3 テーマ未定 (三重県四日市市内)
 NPO法人体験ひろば☆こどもスペース四日市主催 対象者数未定


四日市での講演の主催者は、リッキーの古くからのお知り合い。最近事務所を新築したそうで、そこをオープンスペースとして開放するから、前日に来てライブをやってくれないかというお話をいただきました。我々と同じ世代が集まると思うので、ぜひとも7~80年代のフォークソングを歌ってほしいというリクエストで、食事やお酒を楽しみながらのひとときになりそうです。
また場所が高台にあり夜景もバツグンだそうで、写真も撮れたら撮ってしまおうかと画策しています。

今夜も冷え込んでいます。少しだけ頭がフラついています。もしかしたら風邪をひいてしまったかもしれません。みなさんもお気をつけ下さい。

久しぶりの夜間撮影

昨日の記事では、拍手欄や直接メールにてたくさんの激励をいただきました。ブログを続けていてよかったと、心から思う瞬間です。ゆっくりゆっくり歩を進めていくことにします。ありがとうございました。


今日は夕暮れの富士山を掲載します。以前掲載した富士山の全景が見渡せる箱根山中腹から、久しぶりに夕焼けの富士を撮影しました。実は先月に撮影したものですが、標高800mを越えると冷え込みが厳しく、撮影を終える頃にはカメラが冷え切っていました。この時知り合いも別の場所で撮影をしていて、お互いにメールを交換しながらの撮影でした。

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赤味が今ひとつでした。なかなか思うようにはいきませんね。

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富士山の裾野に広がる御殿場市内の夜景です。

空が暗くなると、今度は夜空に目を向けてみました。この日は見事な月夜で空もクリア。何枚か撮ってみましたが時間が経つにつれて気温が下がり、夜露も降りるようになってきました。

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撮影場所は以前結婚式場が所有する教会でした。今では廃墟のようになっていますが、その雰囲気は屋根に残っています。

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上を向けていたのでレンズが曇ってしまい、ソフトフォーカスのフィルターを付けた状態になりました。カメラにはあまりよくはないんですが・・・。

下界も木々が色づいてきました。これから月末にかけて撮影場所は賑わいそうです。

復帰へのアプローチ

拙ブログに遊びに来ていただいている方から、自分への病気に関して現状を案じて下さるコメントをいただきました。「復帰」というキーワードが出る以前は不眠の症状以外にそれほどの気分的な落ち込みはなく、割と落ち着いた生活を送っていましたが、復帰へのアプローチについて面談が始ると、会社側と自分の考え方に隔たりが生じて、浮き沈みのある生活が続くようになってしまいました。

9月下旬から復帰への準備のために、会社側と少しずつ面談をしながらそのタイミングや部署について模索してきました。ただ、会社としては正式な診断書がないとどうにも身動きが取れないと言い、ここのところは話の進捗状況も停滞気味で、復帰へのひとつの目安となる産業医の診察を受診するまでに至っていないのが実情です。面談をすれば何か活路を見出せるかもしれないという若干の期待感を持って臨むのですが、こちらの希望に対しては何とも煮え切らない態度で対応され、意気消沈して帰宅するのが当り前のようになっていました。

何とかこの状況を抜け出したかったので主治医に相談したところ、面談を進める手段として診断書を書いていただきました。
「人間関係が改善されれば職場への復帰は可能。但し当分の間投薬とカウンセリングでの加療が必要。」
という内容でした。それを10月下旬に会社へ提出したところ、6日に人事部から改めて面談をしたいから9日に来社せよというメールが届きました。つまり今日でした。
「先ずは今回、この前送っていただいた診断書を元に会社が契約している専門医が面談を行い、復職の可能性についての判断を行います。その判断を受けて改めて産業医が面談を実施し、最終の復職可否の判断になりますので、何度もお手数をお掛けしますが、よろしくお願い致します。(最終産業医との面談については、この面談後に追ってご連絡致します。)
この内容の通り、改めて仕切り直しということになりました。

初めて就業時間中に会社の施設の中での面談、正直緊張しました。時間も昼休みだったので知っている顔に会えば、挨拶やら説明やらで厄介なことになると危惧していましたが、取り越し苦労で終わりました。
面談はわざわざ東京からみえた精神科医とカウンセラーとの3人で行いました。人事部の担当者も応接室で待機していましたが、面談が始ると席をはずしました。

精神科医はこれまで自分が人事部へ詳細に報告をした、発症(2005年6月頃)から今日に至るまでの確認を行い、もし異なっている部分があれば申告すること、さらに聴取したい事項があれば質問をさせてほしいということを言われました。ふたりとも自分が話したことは逐一漏らさぬようにカルテのようなものに記入していきました。原因が「パワハラである」ということを再確認して、復帰への希望の話になりました。

自分は自動車部品メーカーで特許の管理をしています。年間数千件の特許権や意匠権を月毎に分けて、保有しておきたい権利のみを特許庁に申請する内容です。開発者へ維持か放棄かの問い合わせや、共同出願したメーカーへの問い合わせを経て処理をしていきますが、申請期限を過ぎてしまうと権利が無効となって大きな損失になってしまうため、漏れがないか神経を遣う反面、醍醐味も感じています。
この業務でなくとも、出来れば同じ部署で特許の仕事を続けたいというのが本心です。当然問題の上司と同じチームで働くことは主治医から禁じられているので、別のチームで続けていきたいという希望を出しました。それが叶わないならまったく異なった部署への異動も吝かではありませんが、同僚たちは自分の足のことも理解してくれていますし、やはりこの歳で新たな業務に就くというのは、正直言ってしんどいです。さらに単身赴任なんて条件を出された時は、もう辞めるしかないのかなぁなんてことも考えました。

会社というのは、休まず文句を言わず黙って働く人間が大好きです。対外的には、増えてきた精神疾患の社員のケアのために健康サポートセンターを開設しましたと謳っていますが、実際その当事者になってみるとアプローチ自体が様々な障害によって躓き、診断書を提出してからが長くかかるのではないかと懸念しています。

とりあえず専門の医師とカウンセラーに現状を把握していただけたことは、次に繋がるステップだと感じました。早ければ来週にも面談が予定されそうですが、考えていた以上に時間がかかりそうです。心配をしてコメントを下さった方は、最近の多忙さを案じて下さいました。本当にうれしいことです。ありがとうございます。多忙と言っても、みなさんのようにめいっぱい仕事をされての多忙さではありません。嫌なら回避することも可能な用事です。ただ自分のこだわりとして、依頼されたことに対してはすべてお受けしたいという昔からの強い気持ちがあります。断ることでパイプが切れてしまうのではという怖さもあります。裏付けのない変な「大丈夫」を認識出来ているうちは、この状態を続けていこうと思っています。

とんだカミングアウトになってしまいましたが、いつもコメントを下さるみなさんに隠し事をしたくないという思いから、ダラダラと記事にしてしまいました。オヤヂの戯言だと思って、軽く読み流していただければ幸いです。


写真展最終日へ行ってきました

「リッキー'sブランチ」にご出演いただいた「心の眼で撮った写真展実行委員会」代表の勝呂さん、30分に渡って熱く語っていただいたことで、もう一度作品たちに会いたくなり最終日(5日)を迎えた会場にお邪魔しました。初日にお邪魔した時よりもずっと会場の雰囲気は和んでいて、スタッフのみなさんもどこかしらに安堵感が漂っているようでした。勝呂さん、パートナーの黒須さんが笑顔で迎えて下さいました。
「先日はお世話になりました。お陰様で3,4日は番組を聴いて来たと言う方がかなりいらっしゃいました。我々もうれしくて・・・。」
勝呂さんは深々と頭を下げて下さいましたが、土曜日の朝はNHKのニュースでも紹介されていたし、別の地方紙でも取り上げられていましたから、会場は多くの来場者で賑わったんでしょう。うれしいことです。

あと数時間でこの地を離れる作品たちを見ていると、勝呂さんがお話を始めました。
「昨日運送屋さんのご夫妻が突然みえたんです。発送は明日なのに・・・と一瞬思いました。でも、そうじゃなかったんです。依頼を受けて横浜の盲学校から荷物を運んできて、何でも展覧会やるからと聞いて自分たちは何を運んだのか知りたくて来場されたんです。これも何かのご縁なんでしょう。」
いいお話を聞かせていただきました。さらに続けて、
「来ていただいた方から来年もぜひ開いてほしいというリクエストがあったんですが、これは文化祭の行事の一つとして企画されたものなんです。だから今年でお仕舞いです。それに子供たちにはここで立ち止まってほしくないし、1日1日前に進んでいってほしいんです。」
思わず胸が熱くなりました。作者が思いを込めて作品を作り上げても、主催者が同じ思いで取り扱わなければ、見る側にとって「熱さ」は半減してしまうでしょう。今回の写真展は、その思いが合致した故の結果だったのだと思いました。
ご自身のブログにも書かれていましたが、荷造りをして作品たちを見送ったあと記事を書いていると、自然と涙が流れてきたそうです。

帰り際、スタッフのみなさんと記念撮影をしました。みなさん、いいお顔されていました。本当に本当に、お疲れ様でした。
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実行委員会のみなさん(後列左から3人目が勝呂代表)

週末は出会いの連続 後編

11月4日、自分にとってはある意味歴史的な1日となりました。そんな大袈裟な・・・と思われるかもしれませんが、「出会い」という大きなイベントが立て続けに訪れました。

この日の最初のイベントはある知人の結婚式。その知人というのは、「リッキー'sブランチ」のディレクターで「ボイスキュー」のアナウンス部課長小坂真智子さんだったんです。10月初旬に招待状をいただいた時に「リッキーさんと何か歌って下さい。」とオファーがあり、稽古を続けてきました。

当日は披露宴開始が11:30だったので、準備や音出しのために9:30に会場入り。すでに小坂Pとライブ活動を行っている「CRESC.」が、入念なリハーサルを行っていました。「お久しぶりです!」いや、本当にお久しぶりでした。
音出しを終えて自分の席を確認すると、隣の席は「奥平正和様」の席札が・・・。
「おおっ、奥平さんだぁ!」
彼はバイクで世界一周を成し遂げた通称「バイクの旅人」です。「ボイスキュー」で何度かお会いしたことはありましたが、お話をしたことはありませんでした。これは面白い話を聞けるのではないかなと、始る前からワクワク(オイオイ、披露宴は?)。

披露宴が始りました。小坂Pは艶やかな緑基調の色内掛け、新郎はいかにもやさしそうでホンワカした方でした。以前からお付き合いをしていたのは知っていましたが、お目にかかったことがなかったのでちょっとドキドキしていたんです。照れ笑いを浮かべるお顔からは、シャキシャキした小坂Pのわがままをぜ~んぶ受け止めてくれそうでした。
隣りには奥平さん。リッキーは面識があったので
「変なオヤヂが座ってるなぁ。」
なんて言ってのけたので、すかさず自己紹介をさせていただきました。
「たまに番組聴いてますよ。」
と言っていただいたので、会話が盛り上がるまでに時間はかかりませんでした。

12:15「F&R」の出番。「空も飛べるはず」「涙そうそう」をエントリーしました。相当歌い込んできたので、安心して聴いていただいて大丈夫というレベルまで上達しました。ただ、食事が始ってすぐの出番だったので、会場は騒然としていてとてもアコースティックギターの音は聴いてもらえませんでした。ま、予想はしてましたけどね。それでも新郎新婦とパーソナリティーの方たちからは、お褒めの言葉を頂戴しました。奥平さんからも「選曲が素晴らしい!このオヤヂたち、カッコイイなぁ。」とひとこと。
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奥平正和氏
以後はもう世界を駆け回っていた頃の貴重で笑えるエピソードをたくさん聞かせていただきました。最近はさすがに体に堪える(50歳)ので旅はお休み中。執筆や講演活動のために、やはり全国を回っているのだとか。リッキーが
「講演先もバイクで行くの?旅人だったら当り前だよね。バイクで舞台まで上がるとか。」
と意地の悪い質問をすると、
「県外は勘弁してよ。しんどい思いして90分喋ってとんぼ返りじゃ死んじゃう。それにオレ、トライアルの選手じゃないぜ。」
と、大笑いしながら奥平さん。これもお人柄です。近所に住んでいるので今度食事でもということになりました。
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幸せいっぱいのお二人
披露宴の方は小坂Pらしく涙の無い楽しい内容。ワインレッドの色ドレスも素敵だったし、「CRESC.」とステージに立った時の白基調のドレスもバッチリ似合ってました。新郎は仕事の関係で東京住まい、小坂Pは仕事を続けるので地元に残るために、しばらくの間は「週末婚」なんだそうです。新婚旅行も当分お預け。
でも、3時間も長くは感じませんでした。末永くお幸せに!!

そしてその夜は「スターダストレビュー」のライブへ。カミさんの妊娠から現在まで、とてもライブに行かれる状況ではなかったために自分も自粛していましたが、「行ってきなよ」と言ってくれたので3年ぶりに彼らに会うことになったんです。実はデビュー当時から彼らのファンで、自分にとって25年間で47公演目のライブになりました。
17:00に幕が上がると、懐かしい顔ぶれに聴きなれた曲が五感に沁み込んできました。やっぱり(根本)要さんのボーカルは最高! 演奏も胸のすくレベルだし音もいい。それに照明の演出は涙が出るほどきれいで感激しまくり。お気に入りの曲も4曲ほど歌ってくれて、体の中が音符で埋め尽くされていく感覚でした。新アルバム「31」からも5曲披露してくれました。コントあり爆笑トークありで、業界では長いと言われている3時間のライブは、お馴染み「夢伝説」で幕を閉じました。

実はこの後にサプライズがもうひとつ。「ボイスキュー」が終了直後の要さんからインタビューを録ることになっていて、ファンであることを知っていた小坂Pが気を利かしてスタッフとして自分の名前を申請してくれてあったんです。
昨年も「スタレビ」のライブが三島で行われ、翌日要さんが「ボイスキュー」を訪れて2本の番組を収録。その中でギターを抱えて生歌を披露しました。その時の担当が小坂Pだったんです。
「呼んでほしかった・・・。」
自分の悲壮な表情を憶えてくれていたんですね。うれしかった。

インタビュアーは寺尾P。ハツラツとしたトークが人気のパーソナリティーさんです。ロビーで待ち合わせをしていましたが、まだ会場内にいるうちに小坂Pから電話が。
「私も行きます。」
行きますって、あなた披露宴のあとの二次会が終わったばかりでしょ?旦那さんは?ご家族は? でも、思いました。これだけのアーティストの取材です。自身も立ち会わなければという責任感なんでしょう。ロビーで落ち合うと、ふたりともいかにもっていうヘアスタイルのまま。

スタッフに呼ばれて、いよいよ楽屋へ向かいました。もう足が地に付いていないのが自分でも分かりました。口はカラカラ、やたらと額から汗が流れてきます。廊下で待つように言われると、いきなりメンバーが出てきてビックリ。でも、メンバーから「お疲れ様です」と言われてもっとビックリでした。中に招き入れられると再び要さんが戻ってきて、初めて1mという至近距離でお目にかかることが出来ました。さっそくインタビュー開始。腰が低い、ファンをとても大切にしている、そして心から音楽を愛している、すぐ隣りで要さんが語るひとことひとことからそんなことを感じました。番組のプレゼント用の色紙5枚にサインし、自分も色紙と「31」のジャケットにサインをいただきました。
「デビューされた時からのファンです。今日のライブ、ありがとうございました。」
と伝えると、
「ありがとうございます。うれしいなぁ。」
と仰って、さっきまで使っていたピックを手渡して下さいました。オヤヂ、完全に舞い上がってました。わずか15分とは言え、相当に疲れているはずなのにそんな素振りも見せず、リスナーやファンに向けて熱く語っていた要さん。ますますファンになってしまいました。

「バイクの旅人」奥平正和さん、「スターダスト・レビュー」リーダーの根本要さん、大きな出会いに感激しまくりの1日でした。
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いただいたサインとピックです。

週末は出会いの連続 前編

先週金曜日の晩あたりから予定が詰まり始め、今日の午前中まであっちへ走りこっちへ走りで、なかなか記事を書くことが出来ず、併せてみなさんのブログは読み逃げ状態。失礼しました。

金曜日の晩の予定というのは、日曜日に相棒と共通の知人が挙式するために、余興(ギターしか出来ませんが)の仕上げを行いました。多くの芸達者が列席をされるのに、我々が指名を受けたことに感激。しっかりと歌わせていただくということでみっちりと稽古しました。ただ相棒は講義に加え入試関係の仕事が佳境を迎えているため、これまでに披露した曲から選択しました。

そして土曜日、記事にもしました「Kids Photographers-子どもは天才! in 伊豆」実行委員会代表の勝呂希枝子さんを「リッキー'Sブランチ」にお迎えして、子供たちとの出会いや開催に至るまでのお話を伺いました。
電話では何回かお話をさせていただきましたが、お目にかかるのはこの日が初めて。1時間前にお伺いしますという勝呂さんに合わせ、我々も早めに局へ入りました。最初は初めてのラジオご出演ということで緊張されていましたが、積極的なお人柄と何より沢田研二さんの大ファンとお聞きしたので、その辺りをリッキーと掘り下げると、すぐにリラックスされていました。

冒頭自分が新聞の記事から今回の写真展を知り、実際にこの目で見た感想をお話させていただいたあと、勝呂さんにご苦労された点などをお伺いしました。やはり最初に子供たちの作品と出会った時の衝撃は大きく、どうしてもご自身が活動されている「心の眼で撮った写真展実行委員会」や「音訳ボランティアかじか」を通じて、広く紹介をしたいという使命感を持って企画されたのだそうです。地元紙を始め数々のメディアに取り上げられたことで、うれしさの反面戸惑いを感じることもあったそうで、今回のラジオ出演についても
「ガチガチの教育番組でしたらとても対応出来ないのでお断りするつもりでいました。でもそうではないことがわかり、実行委員会のメンバーや主人からもせっかくの機会だからと後押しされて出演させていただくことにしたんです。」
と本心を吐露されていました。

リクエストの沢田研二さんの曲を2曲ご紹介して、最後にぜひこれだけは伝えたいということで、開催に協力した各方面へのお礼を述べられましたが、その中で子供たちにカメラを持たせることを提案された写真家・管洋志氏への謝意が、最も我々の気持ちに響きました。当然それがなければ作品自体が存在しなかったのですが、その発想と熱意と子供たちを見守る温かさに、勝呂さんは感激されていました。
「こういう子供たちにカメラを持たせるって、考え方によってはとても残酷なことと酷評されかねないと思うんです。でも、しっかりと子供たちの気持ちを掴んだからこそ出来た写真展だと思います。」
リッキーのひとことで、無事に番組は終了しました。

今後はお互いに連絡を取り合って、共通の主旨で開催出来るイベントがあればご一緒に・・・ということになりました。最終日の5日にもう一度写真展に伺うことをお伝え(実際に今日行ってきました。また後日UPします)し、お別れをしました。勝呂さん、ありがとうございました。
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会場で作品の説明をする勝呂さん(左)

さて番組を終えた我々は、相模女子大の学園祭へ出向きました。リッキーとしては初めてのことなので、自身の勤務する大学との比較をしたかったのだそうです。自分も調子付いて同行しました。
幼稚部からの一貫教育なので、当日は全校挙げての学園祭。学内のメーンストリートには模擬店が軒を連ね、学生や地域の人たちがテントの前に列を作っていました。中には早々と品切れで閉店するところも。グラウンドは野外ステージとして吹奏楽部や有志のライブが行われていました。
「入場者数は山の中にあるうちの大学とは比べものにならん。でも、研究発表を大々的にインフォメーションしている学部やサークルがないのは似てる。」
パンフレットを見ながら不満そうに漏らしました。事実ある校舎の前で
「偉大な女性に関する発表を行ってま~す。見る価値ありま~す。」
と、階段に座ったまま大声張り上げている学生さんがいました。あまりに抽象的なお題目と態度、とても見ようという気にはなりませんが、写真部の展示を見に行こうとして間違ってその発表会場に辿り着いてしまいました。強い「手招き」があって教室内へ。するとナイチンゲールやジャンヌダルクなどの偉人の経歴を、模造紙に手書きで記してあるだけの発表内容でした。中学生でももっとマシなものを作るだろうと・・・。ふたりで苦笑い。

続いて写真部へ。子供たちの写真が記憶に新しいので、大学生がどのような視点から撮影をするんだろうと楽しみにしていました。でもね、伝わってこないんですよ、カメラマンの意図が。一枚ものはド真ん中に被写体を入れたものが多く、タイトルもそのものズバリ。モノクロにしたりソフトを使っての「遊び」が皆無だったんです。組写真も狙いがわからず、部員に聞いてしまったほど。余白部分も切り方が雑で、自分の作品を大切に扱っていない点にガッカリしてしまいました。
「何だかグッタリするような学園祭に誘ってしまってすまん。って、オレのせいかどうかは不明だけど・・・。」
と、リッキーも恐縮。研究室でしばらく休んだ後大学を後にして、途中久しぶりに「ココイチ」のカレーを満喫しました。

明日は知人の結婚式と、「スターダスト・レビュー」のライブがあります。ドタバタの1日になりそう(実際になった!)な予感がします。

「Kids Photographers」に感銘

10月30日の地元紙夕刊のある記事に目が止まりました。

「全盲の子らの力作写真展示」
「音や雰囲気頼りに<好き>を写した」


横浜市神奈川区の「市立盲特別支援学校」に通う子どもたちが撮影した写真展を、温泉地・修善寺で開催するというものでした。さらに読んでいくと、この写真の存在を知った地元ボランティアグループのメンバーが企画。「目の見えない子どもたちが心の目で写した家族や日常の風景を見てほしい」という主旨で開催にこぎ付けたのだそうです。題して
「Kids Photographers-子どもは天才! in 伊豆」

新聞には準備作業中の写真が掲載されていて、パネルに収められた作品も3点ほど写っていました。それを見た時、「これは行かなければ!」と思った訳です。

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初日の今日、さっそく会場の「修善寺生きいきプラザ」へ出向きました。作品はラウンジを囲む壁にぐるりと掲示されていて、パッと目を向けただけでも気持ちが温かくなる感触が伝わってきました。受付時に写真撮影とそれをブログで公開したい旨を伝えると、子どもたちの氏名を控えるならということで許可をいただきました。

撮影したのは小学部2年から高校にあたる普通科2年までの23人で、うち13人が全盲。ある保護者の方が写真家・管洋志氏と知り合いだったことから、氏の提案で秋の学園祭で写真展を開くためにカメラを手にしたそうです。テーマは「私の好きなもの」。声や音などを通じてその場の雰囲気から、家族や友達、動物、街並みや電車にカメラを向けたそうです。

パンフレットと写真を照らし合わせながら、いったい何年生の子が撮ったんだろうとひとつひとつゆっくり鑑賞していきました。1人につき3~4点を出展していてランダムに展示してあるのですが、見ていくうちに「この子は人を撮るのが好きなんだ」「点字ブロックや公園を撮っている子は、自分の住んでいる街が好きなのかな」「バスの運転手さんにピースしてもらってる」こんなひとりごとが自然に口をついて出てくるようになりました。もう夢中になって見ていたんだと思います。

確かに一部がフレームからはずれていたり、極端に曲がっている作品もありました。でもそれは見えるから出てくる邪念であって、面識の無い人間の気持ちを温かくする写真が自分に撮れるかと問われると、とてもとてもそんな自信はありません。とことん好きなものを心で撮った写真に敵うものはないでしょう。その素晴らしい作品たちを何点かご紹介します。
*キャプションは各段左側から紹介しています。

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<上段> 「私の宝物」(普1) 「ジャンボクッション」(小5)
<中段> 「かんなさん」(小5) 「勉強道具」(小5)
<下段> 「脚立と新倉さん」(小2) 「さよなら東海」(普2)


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<上段> 「松見台公園」(小6) 「ボクのひいおばあさん」(中1)
<中段> 「ぐーぐー パパ」(小2) 「帰ってゆく鳥」(中1)
<下段> 「僕の家の犬」(小5) 「私の歩む道」(普1)


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<上段> 「自分の好きなもの」(中1)
<中段> 「妹ではなく、弟である」(中2)
<下段> 「スーパービュー踊り子」(普1)


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カメラを持った子どもたちのスナップ集です。

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<上段> 「バス」(小5) 「失敗?」(小6) 「お菓子を作る二人」(中1)
<中段> 「妹の花奈美」(小2) 「まほちゃんのブランコ乗り」(小5) 「THE WARRIOR OF FAITH」(中1) 
<下段> 「友達」(中1) 「なぜか、おひなさまとギョーザ」(中1) 「私のお友達」(小5)


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<上段> 「金魚」(中1)
<中段> 「なっちゃん」(小4)
<下段> 「近所のかりんちゃん」(小5)


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<上段> 「太陽」(小5) 「春を待つ桜の木」(普1)
<中段> 「ニセモノの花」(中2) 「友達」(小6)
<下段> 「特急東海」(普1) 「乗ったことある」(小6)


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<上段> 「踏切」(小6) 「春の江ノ島」(小6)
<中段> 「思い出」(小6) 「わたし」(小5)
<下段> 「自分の乗る電車」(中3) 「お父さんのバイクと弟の自転車」(中1)


実は今回の作品は1冊の写真集になって販売されています。タイトルは「Kids Photographers 子どもは天才!」。自分も購入しました。まさに今自分が目にした作品がページを飾っています。巻末には各カメラマンの顔写真と作品へのコメントが記載されていて、写真の手ほどきをした管洋志氏のコメントで結ばれています。

君たちの 心が輝いている
君たちの 体がはずんでいる
君たちの 肩が笑っている
こんな子供が僕は好きだ
僕は、ここに登場する23人のキッズ・フォトグラファーを天才と呼びたい。


アンケートを書いて再び受付の方に感想をお伝えしました。その際実行委員会の代表の方が不在だったのですが、帰宅後にご丁寧にも連絡をいただき、ボランティア活動についての詳細なお話を伺ううちに、我々の「歌付き教育講演会」の話にも興味を持って下さいました。
だったらということで、急に思い立ち「リッキー'sブランチ」への出演をお願いしてしまいました。自分だけが感想を話すより、今回のイベントについてやはり主催者の方から直接お話を伺った方が、リスナーに真意が伝わると思ったからです。リッキーも快諾してくれたので、明後日はいつもとは違った雰囲気で進めることが出来そうです。なお写真展は11月5日まで、9:00~17:00(最終日は14:00)入場無料です。

また新たな繋がりが生まれそうな気配です。



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