3月もおしまいです

今日は土曜日。野球の長男を送った後、リッキーとともにFM局に向かいました。「ボイス・キュー」の目と鼻の先には、三嶋大社があります。あの松坂大輔が挙式した神社です。局に近づくにつれ、クルマが動かなくなってしまいました。大社の駐車場空きを待つ車列が、メインストリートを埋め尽くしていました。慣れっこの我々は迂回をして、30分前にスタジオに到着出来ました。やれやれ・・・。
すぐにリッキーの用意した新聞の切抜きを中心に、本日の進行を小坂パーソナリティーが書き込んでいきます。「今日の2曲」は、「グレープ」が再結成して「レーズン」というグループ名になって出したCDから、「夢しだれ」と「あの頃について」。最近ナツメロづいてます。

余った時間で、4月28日にこの3人で行う、浜松でのライブの打ち合わせ。演目が決定したので、練習用のスタジオ予約をしました。今回は組み合わせを何回か替えて、じっくりハモリを聴いてもらおうかなと画策しています。小坂パーソナリティーのピアノ弾き語りも楽しみ。

11:30「リッキーズ・ブランチ」スタート。統一地方選挙が間近に迫っているため、「CRESC.&小坂真智子」の「選挙へ行こう!」をBGMに、文字通り「みんな選挙へ行くべ~」という話題。次の話題は、能登沖地震。そして最後は、ある企業が実施した「5人目の子供を出産したら500万円を支給、少子化対策」について。
「産む時だけ支給して、あとは知らん顔か?それって少子化対策とちょっと違うぞ」
と、リッキーが吼えました。割とキューシート通りの進行。なかなか珍しいことです。最後の2分30秒は、そろそろ満開を迎えた桜の話題で閉めようかということでしたが、曲の最中に「道徳が教科に」という記事を発見。「どうやって評価するの?」「5を取った生徒が、いじめの常習者だったらどうする?」という二人のコメントの末、リッキーの
「学校が荒れてるからって、安易にこんなことを決めちゃダメ。ゆとり教育の失敗が何も活かされてない!」というひとことで終了しました。

3階のスタジオからは、大社の桜並木がよく見えます。もう八分咲きというところでしょうか。帰りにリッキーと近くまで行ってみました。参道はかなりの人出で、露店も忙しそう。駐車場へ入るクルマの列はさらに延び、優先して入ることの出来る観光バスも、ひっきりなしに到着していました。
季節感に乏しいこの頃ですが、なぜか桜を見ると気持ちが落ち着きます。平地ではもっても来週末まででしょうが、富士山近辺ではGWまで桜が楽しめます。1回ぐらいは気合を入れて、撮影に行こうかと考えています。もちろん、首に負担をかけないように・・・ですが。

まとまりのない記事になってしまいましたが、久しぶりに充実した1日をすごせたような気がします。
ラジオのレギュラーが正式に決まりました。来週からリッキーと二人で番組に臨みます。二人のやりとりについて、テンポがあって楽しいというメールを何通かいただきました。とってもありがたいことですが、これからはもっと新聞を読まなくてはいけなくなってしまいました(笑)。
スポンサーサイト

やっぱりヘルニアでした

いつものように、2週間分の体調を報告するカウンセリングが終った後に、手の痺れの診察を行いました。医師は借りてきたMRIの画像をスキャナで読み取り、それを見ながら細かく説明をしてくれました。
mri01.jpg

「これが1番鮮明かな・・・」ということで、上の画像で説明。
左側は、体の中央部分で縦割りにしたものです。中央に脊柱管があり、その中に脊髄、周りを髄液が覆っています。その左側には頚椎がありますが、4~6番頚椎付近の髄液が見えなくなっています。この部分の椎間板から髄核が飛び出して、神経根や脊髄を圧迫しているというのです。右側は、やや左肩に寄った画像です。椎間板の黒い部分が、脊髄を圧迫しているのがはっきりわかります。
「多椎間(頚椎椎間板)ヘルニアだね」
これが病名です。原因としては、加齢による経年疲労、杖をついて左手を酷使してきたこと、脊柱管に余裕がないことから、わずかな不具合で症状が現れるとのことでした。ようやく病名が判明した訳です。

では、その治療法は・・・
・安静を保つこと
安静を保つことで自己再生能力が働き、故障した部分が次第に回復していくのが狙い。まずは神経を鎮静化させることだそうです。これを「保存療法」と呼ぶそうで、頚椎に絶対負担をかけないことだそうです。
MRIを撮影した病院では、リハビリを勧められました。腰を温めながら回転させ、首も同じように回す。キセノンの光で肩を温め、最後はマッサージ・・・。今の医師にそれを伝えると、「そのリハビリでは、何の効果も表れないどころか逆効果だよ。首を上に向けたり、左に傾けては絶対ダメ」。一昨日のリハビリでは、かなり首をぐりぐりやられたもんなぁ。どうしてくれるんだよ!

・ビタミン剤を服用する
末梢神経障害に有効な、ビタミンB12製剤「メチコバール」を服用することで、痺れや麻痺状態を改善します。

これを2週間続け、症状が改善されない場合は、外科的な治療法を検討するとのことでした。例えば「神経ブロック注射」で、痛みそのものを排除するというもの。「最終的には手術ですか?」と聞くと、「そんな切羽詰った状態じゃないよ」と一笑に伏されました。
「安静って言っても横にばかりなってる訳にはいかないだろうから、とにかく首に負担をかけないで。パソコン?続けて1時間以上はやらない方がいいかな。それから、転倒には気をつけてね。庇おうとして相当にストレスがかかるから」
自分としても、なるべくなら転びたくはありません。気をつけることにします。

診察が終って部屋を出る際、
「気分が落ち込んでる・・・よね?でも、この病気は誰でもかかるし難病でもないから、心配することはないんだよ。いろいろ重なって大変かもしれないけど、僕がしっかりと治すから」
と、医師が声を掛けてくれました。救われた・・・。

帰る途中、画像を返却に行きました。触診もせずに、この画像だけでリハビリを勧められた事実。続けていれば、とんでもないことになっていたかもしれません。先ほどの診察の中で、その時はあまりピンと来なかった、医師のひとことを思い出しました。
「僕たちは画像を治すんじゃないんだよ」

今夜もいつものように痺れていますが、気持ちは少しだけ軽くなりました。

進化するデジカメ

長男が本屋へ行きたいというので、午前中出掛けてきました。長男が物色中、自分も「鉄道」コーナーで雑誌を手に取って、「風情がなくなっちまったなぁ」とひとりごとを言いながらふと横に目をやると、以前毎月買っていた「デジタルカメラマガジン」を見つけました。中をめくっていくと、3年ほどブランクが空いた間に、ずいぶんと進化したもんだと驚いてしまいました。
top_img.jpg

自分が一眼レフのデジカメを購入したのが5年前。ニコンのD100という機種です。610万画素という、現在の機種からすれば入門機にあたるグレードですが、価格は22万円もしました。しかしながら、記録媒体によって枚数を気にせずに撮影出来ること、その場で確認出来ること、そして自分で画像のレタッチが出来ることが、今までのフィルムカメラでは考えられないこと。しかも、今まで使っていた交換レンズがそのまま使用出来るということもあり、あっという間にその魅力に取り付かれてしまいました。

それでは、何が進化したのか-。
画素数から言えば、1000万画素オーバーが当り前となって、より精細な写真が撮れるようになったこと。コンパクトタイプのデジカメでさえ、すでにこの領域に達しています。そこまで必要なのかいなとも思うのですが、一眼レフではとてもありがたいことです。
また、撮影した画像を確認したり様々な設定を行う際に、簡単なボタン操作で完了してしまうこと。初心者にやさしいし、とっさに撮影条件を変更する時に、とても強い味方になります。

本当に機種が増えました。メーカーなりに特色を出してはいますが、どこも一長一短という印象です。ただ、そこそこ使うというのであれば、どのメーカーを選択しても遜色のないレベルだと思いますし、自分が購入した頃に比べれば、いろいろ選べて羨ましいとさえ感じます。もちろん写真は、カメラだけでは撮影出来ません。レンズも重要な道具です。こちらもその数がスゴイ!カメラメーカーのレンズ、レンズメーカーのレンズ、広角、望遠と、その種類は選り取りみどりです。これからさらに、その選択肢は多様化していくはずです。

ただ・・・
どんなに画素数が上がっても、従来のフィルム、特にリバーサルフィルムには、まだまだ太刀打ち出来ません。ありのままをそのまま切り取った「圧倒的な臨場感」は、デジタルでは表現することはかなり難しいと思います。それに現在はデジタル全盛期ですが、いずれフィルムカメラに再び光が当たる時が来ることを信じているので、大切に保管しています。ブームには、必ず回帰がありますからね。

頚椎椎間板ヘルニアかも

3月に入ってから、左手の薬指と小指が痺れるようになりました。しばらく様子を見ていましたが、次第に首と肩甲骨の内側の筋に痛みが出始めました。これはまずいと思い、3月12日に整形外科へ行きMRIを撮りました。この時「パニック障害」が悪さをして、閉所であることで気分が悪くなって撮り直しをしたり、別の意味で大変でした。
医師は画像を見ながら、「若干のヘルニアはあるが、薬とリハビリで改善する」という診断で、末梢神経の血行が改善する薬と、腰や首を回す等のリハビリの計画を立て、診察後はそのリハビリを行ったんです。

3月16日、カウンセリングのために心療内科へ出向きました。そこでMRIの撮影時に苦しい思いをしたと伝えると、「何かあったの?」ということになり、痺れの状態を伝えました。この病院は外科も診療していて、もちろん同じ医師が診察します。ギザギザのついたローラーを左手のあちこちに転がし、どの辺りから感覚が鈍くなるか詳しく診察しました。先の整形外科では行わなかった診察です。
「頚椎のヘルニアっぽいなぁ。もしそうだったら、リハビリなんかじゃ治らないよ。ただMRIを見てみないとな・・・。申し出れば、今はだいたいの病院で貸し出しをするから、もし借りられたら持ってきて。僕が詳しく診るから。とにかく、首を回したりとかは絶対しないでね」と言われました。リハビリでずいぶん首を回されちゃったよなぁ。

2週間分の薬が終りましたが、一向に症状は改善されません。MRIも借りなければならないしと思い、今日整形外科へ出向きました。痺れが引かないことを伝えると、
「薬では時間がかかるかもしれないですね。1ヶ月分を出しておきます。リハビリは、時間がある時でいいので」
それって、リハビリはしてもしなくてもいいってことかい?これで、心の中で「セカンド・オピニオン」が決まりました。足を診てもらっている医者が、画像を借りたいと言っているのでと少しウソをついて借りることが出来ました。せっかくの機会なので、公開したいと思います。
mri.jpg

首を真横に切断した画像です。上の写真が頭部に近いもの。矢印の白い部分が脊髄です。その上部の黒い部分が椎間板になります。上の写真では、脊髄が楕円形になっていますが、下の写真では少し歪になっています。恐らく椎間板が脊髄を圧迫して、神経根を刺激しているのではと思います。
左手は杖をついているし、ギターではコードを押さえます。握力は変わりませんが、非常に違和感があるし筋も痛みます。明後日カウンセリングと併せて、今度こそしっかり診てもらうことにします。
次から次にやって来る体調不良に、いささか落ち込んでいます。歳はとりたくないという、生易しいものではありません。パソコンに向かうのも良くはないのでしょうが、どうしても記事を書きたくて、少しだけ無理をしました。痺れと痛み、もううんざりです。

能登半島で地震

午前10時前に、石川県能登地方を中心とする地震が発生しました。能登半島の東側では震度6強で、ニュースを観る限りでは、家屋の倒壊も相当数あったようです。現在の状況は、1名死亡 70名以上がケガ インフラや交通網も、所々で寸断されています。

実は、大学時代の同級生が、震源地のすぐ近くに住んでいます。彼の地域(羽咋-はくい郡志賀町)の震度は6弱でした。当然電話は繋がらないでしょうし、たとえ繋がっても対応している状況ではないと考え、心配ですがしばらく様子を見ることにしました。
彼の実家ですが、青々とした日本海が目の前に広がり、窓を開けると波の音がすぐ近くで聞こえます。砂浜は白くて、夕日が沈む時は本当に絵はがきの世界です。現在は、そこからクルマで5分ほどの場所に新居を構えていますが、そことて風情たっぷりで羨ましくなるほどの場所です。状況がとても気になります。

自分が住んでいる静岡も、「東海道沖」や「東南海沖」等の大地震が来ると言われて久しいですが、周辺ばかりに地震が発生していて、不気味なほど平穏です。たまに伊豆諸島で微弱な揺れがありますが、2~3日で終息します。非常食や水は備えていますが、真夜中に地震が発生したら、パニックに陥ってそれさえ忘れて逃げ出すに決まってます。生死を分けるのは、備えよりも運なのかもしれません。

同級生に、被害のないことを祈ります。

モラル、モラル、モラル

2週間ぶりに「リッキーズ・ブランチ」に召集がかかりました。2年ほど前までは日曜日の放送だったので、ゲストも毎週様々な顔ぶれが登場しましたが、土曜日に移動してからはなかなか都合が付かず、それに時間を取られるなら・・・ということで、何かというとスタジオに引きずり込まれます。もしかしたら、4月からはレギュラーになるかもしれません。マジです。
kubota.jpg

kosaka.jpg

(スタジオはこんな感じです。上:リッキー久保田 下:小坂パーソナリティー)
いつものように、リッキーは一週間分の新聞の切抜きを大量に持ち込みましたが、ちょっとしたきっかけで出席した、ある中学校の卒業式での出来事を話し始めました。
まず、2時間という長過ぎる式。社会福祉協議会からの主賓の挨拶が、なんと20分も続いたというのです。その日の体育館は底冷えしていたそうで、校長先生は5分ほどで切り上げたのに。いつもながらの胸に付ける大きな花といい、誰が主役なのか完全に勘違いしていたというのです。親御さんは親御さんで、送辞・答辞の際に拍手をする時、カメラやビデオのファインダーから目を離すことなく、夢中で撮影していたそうです。「生徒が心を込めてメッセージを交換しているのにさ、きっと何も話聞いてないぞ」。しかも、最初から最後までずっと私語をし続けていた親御さんもいたそうです。本当にどんな場面でも、モラルを疑ってしまうような出来事が付いて回るんだと思いました。こういう大人たちが子供を育てているのだから、次の世代も・・・ということになるんでしょう。こんな話をしているうちに、リッキーが次第にヒートアップ。30分番組なのに、20分近くもこの話に費やしました。

それから、地方紙の夕刊のトップ記事になっていたのが、図書館の本にマーカーや赤線が引かれていたり、ページの写真や記事が切り取られているというものでした。しかも高価な書籍は棚に置かず、カウンターで申請して貸し出すというもの。言語道断です。コメントするまでもありません。このブログで以前もお話しましたが、「自分さえよければ」「バレなきゃ何をやっても構わない」的な、とてもレベルの低い出来事が、図書館でおきているという事実。恐らく県内の図書館だけではない話でしょうね。力が抜けてくなぁ・・・。

高速道路のS.Aに、家庭ゴミを平然と捨てていく輩といい、安全管理を怠っていた菓子会社といい、結局どこに目を向けてもモラルが崩れ落ちて、それが当たり前のように受け入れてしまっていることが、とっても怖い部分です。これを読んでいただいて、「ひどい話だ」と感じる良心を持たれる方が、ひとりでも多くいらっしゃることを望みます。

予選突破どころか・・・

やっちゃいました、「少年野球団」。予選突破どころか、町内チーム総当りでまさかの2連敗。あえなく撃沈でした。何をどう言ってもすべて言い訳になってしまいますが、負けるべくして負けたって感じです。

第一試合は「リトルメッツ」。一昨年までは町内の強豪チームでした。それが、あまりの選手の多さに分裂。力のある選手が、ほとんど新チーム「ドリームキッド」へ流れてしまいました。それに加え6年生が抜けてしまったので、かなり戦闘力は落ちていたはず・・・でした。
4回までは、完全に「少年野球団」が主導権を握っていました。得点も6-1で楽勝ムードだったんですが、ひとつのエラーがきっかけになって四球を連発、ランナーを溜めたところで長打を許す、1番悪いパターンとなってしまいました。結局逆転されて、終ってみれば6-11の完敗でした。

第二試合の「ドリームキッド」に勝てば、まだまだ望みはあります。気持ちを切り替えて、20分後にプレーボール。ところがこのチーム、昨年はそれほどの破壊力はなかったのに、今年は大違い。一旦出塁するとスキあらば次塁を狙い(キャッチャーからの返球や牽制球をピッチャーに返球する時)、とにかく進塁あるのみ。これに翻弄されて、選手たちは完全に浮き足立ってしまいました。恐らく何が何だかわからないうちに、大差を付けられてしまったと感じたはず。
バッティングにしても、明らかに打つ方向を決めていて、野手の間を打球がきれいに抜けていきます。守備は実に丁寧に処理をし、きわどい打球は何が何でもアウトを取るんだという凄まじい気迫。こんなプレーを見せられては、もうなす術もなし。完全に意気消沈状態のまま、気が付くと2-14の5回コールド負けでした。

先日の練習試合では上り調子でしたが、やはり少年野球はわかりません。あれだけ練習した連係プレーが、内野手の誰ひとりとして出来ないイニングがあり、バットを振れば次々と凡フライ。選手たちは、レベルの違いをまざまざと見せ付けられたはずです。監督からずいぶん長いこと説教をもらい、その後は場所を替えて、午後5時までみっちり絞られました。

長男は帰ってからも悔し涙を流して、自分のふがいなさを反省していました。自分は、もう何も言いませんでした。本人は十分にわかっているはずだから。相当の覚悟で練習をしなければ、「ドリームキッド」のレベルに達することは出来ません。
次回の公式戦は5月13日、さらに過酷な練習が始まります。
okumura01.jpg
(キャプテンの本塁打まではよかったんですが・・・)

少年野球は大変、でも楽しい!

やっちゃったな、気象庁。よりによって静岡の桜開花データを入力ミスするとは。判明した途端に気温の低い日が続いて、つぼみはじっと身を潜めたままです。でも、これが普通なのかな。

昨日の少年野球は遠征でした。朝7時過ぎに集合して、製紙の町富士市で3試合を行ってきました。これだけ朝が早いと、お弁当を作る親御さんも大変。「おむすびだけ」と決められているので、中身を鶏の唐揚げにしたり、中にはトンカツを忍ばせてくる兵もいます。長男もこの日は鶏の唐揚げでした。
自分は、9時過ぎに遠征先に到着。気温10度、田子ノ浦港の脇にある小学校のグランドは、海風が時折通り抜けていくので、ダウンを着ても寒いこと寒いこと。おまけに風向きによっては、製紙工場の煙がやってきて鼻を突きます。でも選手達は、21日に今年初の公式戦が控えているので、ずいぶんと気合が入っていました。自分はいつもの通り撮影班なので、ファインダーを覗いていると、普段と違う表情が見て取れました。

この日は4チーム合同で3試合を行うため、試合時間が90分という特別ルール。第一試合は、まだ体が硬いせいもありましたが、相手の拙攻に助けられて12-1で快勝。第二試合は、徐々にエンジンがかかってきたのか打線が爆発。守備の乱れもなく、20-0で連勝しました。
haruki.jpg
珍しく長男もファインプレーやら盗塁を阻止(写真)やらで、
「どうしたんだ今日は。早速坊主効果か!」
と、ベンチから冷やかされる始末。実は気合を入れるために、スポーツ刈りからクリクリ坊主にしたばかり。毎試合こうだといいんですが、そういかないところが少年野球の面白い部分ですね。

そしてお昼。それぞれ趣向を凝らしたおむすびをパクつく子供たちですが、こういう姿はやはり小学生そのもの。見せっこしたり交換したり。食べ終わると、どこかしことふざけあいが始まりますが、
「食べ終わったら早く道具を運べ!」
という監督からの雷が落ちて、再び選手の顔に戻るのです。

第三試合は、すでにエースを2人使ってしまったため、ライトで起用してきたサウスポーが先発。監督は第3のエースとして目論んでいるようです。ただ3試合目ともなると、体力的にそろそろ疲れが出てきたのか、いつもより制球が乱れ気味でしたが、そこはチーム全体で盛り上げます。しっかり打ってがっちり守る、結果この試合も10-5で勝利しました。

時間はとうに午後3時を回っていました。90分ルールを持ってしても、3試合行えばそんな時間になってしまうんです。さらに地元に戻ってから、1時間のバッティング練習を行って5時過ぎに解散。でも、疲れるのは監督・コーチ・選手だけではありません。グランド整備を行うお父さん達、審判や応援する人たちにお茶出しをするお母さん達。早朝から夕方まで、本当にお疲れ様なんですね。だから、自分も気合を入れてシャッターを切っています。今回も、終ってみたら300枚を超えていました。
野球団に関わるすべての人たちの協力がなければ、こうした活動を行うことは不可能です。わがままを言う親や選手がいたら、その時点で弾き出されてしまうでしょう。それぞれの役割を果たし、試合ともなれば1日張り付き。でも、ハツラツとグランドを駆け回る子供たちの姿見たさに、みんな頑張ってるんですね。勝負事だから勝たなければいけませんが、「ゲームセット」の声を聞けば、親御さんたちはみんな心からの拍手で健闘を称えます。

さあ、21日の「マクドナルドカップ」で、まずは予選突破!!

免許取ってもウカレないでね

通院やら、ちょっとした用事で外出すると、やたらと道路が混んでいます。渋滞で停車した時前方を見ると、旗を振っている作業員が見えます。そうか、年度末恒例の工事だ・・・知っていれば迂回したものをと思っても後の祭り。現場を通過するのをひたすら待つしかありません。

今日は2週間に一度のカウンセリング。工事の場所を確認して出発。ところが、しばらく走るとまたまたスローダウンです。昨日まで工事なんかしていなかったのに、と思いながらトロトロ走っていると、交差点を右折しようとしている教習車を発見。なかなかタイミングをつかめず、ひたすら信号が変わるのを待っているようです。たまりかねてクラクションを鳴らすクルマも。やっとクリアしたかと思った途端、またまた教習者が前方に出現しました。そうか、卒業式を終えた学生が、こぞって免許を取りに行ってるんだ。それにしても、すさまじい台数が走っていました。車社会では、免許を取得していないと何かと不便なのでしょう。

運転に慣れていないのは当たり前の話。緊張しまくりで、さぞやフロントガラスに顔をくっつけんばかりに運転しているのだろうと思いきや、時代の流れなんでしょうか。信号待ちで反対車線に停車していた教習車の中で、男性の教習者が何やらハンドルを両手で叩きながら大笑いをしていたんです。助手席では年配の教官が、憮然とした表情で外を指差していました。それでも笑い続けていた教習者は、今度は窓から手を出して屋根やドアを叩き出す始末。明らかに教官は制止していたようですが、車内は異様な雰囲気でした。こういう姿勢で免許を取得して、本当に大丈夫なんでしょうか。

30歳代の時、ライセンスを取得してジムカーナに参加していた時があります。始めたきっかけは、健常者と同じ土俵で競えるスポーツがモータースポーツだったこと、そしてテクニックを身につけて、気持ちよくパイロンを回ってみたいというものでした。ところが、実際にコースを走ってみると、通常の領域を超えたクルマというのは、まったく自分の言うことを聞いてくれません。コーナーの侵入でコンマ数秒ブレーキングが遅れてしまうと、大きく膨らんでタイムロスしたり、スラロームでは速度が高過ぎると、奥に行くにしたがって余裕がなくなり、曲がりきれなくなるどころかスピン状態に陥ってしまいます。これに雨なんか降られた日には、怖くてアクセルが踏み込めませんでした。結局大した成績は残せませんでしたが、参加した2年間で十分にクルマの挙動を勉強させてもらいました。怖さを知っているから、絶対に無理はしなくなったんです。

クルマは便利です。仕事やレジャー・趣味にと、用途は様々。でも、一旦車庫から道路に出てしまえば、知らない者同士が「交通ルール」という信頼関係だけで成り立っている社会です。その信頼関係を無視してしまう者がいれば、必ずや事故が発生して命さえ失ってしまうこともあります。「運転には自信がある」と自慢しても、前後左右を行き交うドライバーは、そんなことなど知る由もありません。免許を取得してハンドルを握るということに責任を感じて、その上で初めて様々な楽しみが生まれてくるということを、肝に銘じてほしいと思います。

東海道から消える顔

3月18日のダイヤ改正に伴い、17日を最後に東海道本線から馴染みの車両と特急が姿を消します。2年前に廃止された長崎行き寝台特急「さくら」以降、それほど大きな動きがなかったJRでしたが、合理化のために大ナタが振り下ろされました。
113a.jpg
まず廃車処分になるのは、普通列車で使われていた113系(写真上)。お茶の緑色と、みかんのオレンジ色に塗り分けられた車両で、「湘南電車」と呼ばれていました。この配色が人気を得て、やがて東北本線や山陽本線へも投入され、25年間に2,900両も製造されたのは、かなり異例のことです。3月18日からは、ステンレス製の新型車に置き換えられます。
373.jpg
そして、廃止される特急は「東海」号。1955年に東京~名古屋間の準急として登場し、以後は東京~静岡間に短縮されて、新幹線の停車しない地域の補完列車として運行されてきました。しかしながら利用客の激減を理由に廃止が決定、車両は他の電車区へ転出されます。自分が東京へ行く際、節約のために当時まだ急行だったこの列車を、かなりの回数利用しました。とにかく残念としか言いようがありません。

車両の入れ換えは、鉄道に興味がなければなかなか気付かないことだと思いますが、老舗の特急列車が消えてしまうのを知った時はどうでしょう?自分は列車に揺られることが好きなので、車両の形式についてはそれほど興味はありません。ただ、これだけ長期間にわたって地元を走っていた列車が消えるのは、やはり寂しく感じます。

旅の情緒を醸し出すために、「トワイライトエクスプレス」や「カシオペア」等の豪華寝台列車が仕立てられる一方で、在来線を守ってきた列車が消え、新幹線の中でも異彩を放っている500系「のぞみ」でさえ、居住性の悪さからまもなく廃止されようとしています。新旧交代は時代の波や鉄道会社の方針で仕方のないことですが、大幅な合理化のしわ寄せを利用者に負担させるようなことは、絶対にしないようお願いしたいものです。

NPO「夢楽団」旗揚げイベント

特定非営利活動法人「静岡県東部パレット市民活動ネットワーク」の呼びかけで、「子ども虐待防止センター・しずおか」に所属するズィズィ鈴木(鈴木潔)氏と共に、「F&R」がイベントに参加しました。もともとは主催者サイドから、「日頃から虐待やいじめに取り組んでいる活動を、歌やパネルで紹介してほしい」という依頼を受けたそうです。そこで、最近立ち上げたNPO団体「夢楽団」の旗揚げイベントとして若干軌道修正。メンバーである我々にも出動要請がかかった訳です。

JR沼津駅前の建物の1階、通路に面したオープンスペースに、これまでの活動を紹介したパネルとステージを組みました。何が始まるのかしらと、行きかう人がパネルを横目に通り過ぎていく中、9:30からズィズィ氏のリハーサル開始。いつもいっしょに活動しているキーボード担当の渡辺さんが不参加ということで、心なしかズィズィ氏が心細そう。でも、キーボードの自動演奏装置を使ってズィズィ氏の歌が始まると、足を止めて聴き入る人の姿もありました。オリジナルはさすがです。数々の賞を取った力量は折り紙つき。
続いて10:10から「F&R」のリハーサル。アンプ付きのギターではない我々のセッティングは、少しばかり時間がかかりますが、これには訳があって、生音を届けたいという昔からのこだわりなんです。いつも行動を共にしてくれるリッキーの教え子は、もう手慣れたもの。心強い助っ人です。予定の6曲を1コーラスだけ歌い、今度はラジオ番組「リッキーズ・ブランチ」のためにFM局へ。もちろん放送中は、イベントのインフォメーションをしこたまやってしまいました。12:00の放送終了後は再びイベント会場へ戻り、昼食の後13:30からズィズィ氏のステージが始まりました。

とはいえ客席には10名ほどしかおらず、しかも年配の方ばかり。始まる直前に
「いつもお客さんが若くて、自分の歌が理解出来るか心配なんだけど、今日は上過ぎちゃってどうしょうかな~」
と、珍しく不安がるズィズィ氏。ところが始まってしまえば、いつもとまったく変わらないペースで、いじめの事例やそれに対する対応を、赤裸々に公開していきます。もちろん地域や実名は控えていますが、それにしてもあまりの生々しい実態に、通りすがりの人が足を止め、席がだんだん埋まっていったんです。そして、心にズシリと響くオリジナルが加わると、あっという間に立ち見まで出始めました。特に「おやじ」「Abuse」では、涙を流す人も・・・。自分もこの「Abuse」だけは、何度聴いてもウルウルしてしまいます。

75分間のステージは、大好評のまま「F&R」が引き継ぎました。我々も、いつもながら30年前のフォークソング歌いました。ただ、トークの内容を決めていなかったので、ズィズィ氏の話を引き継ぐ形で、自身のいじめられた経験をお話しました。時には笑い、時には真剣に45分間無事に歌い終わりました。最後にはアンコールもいただき、ズィズィ氏も加わって1番の盛り上がりとなり、客席からは手拍子も。結局50名以上の方々に聴いていただきました。一時はどうなるのかと不安になりかけましたが、「夢楽団」は上々の滑り出しとなりました。

終了後の反省会で、主催者側から「次の機会にもぜひ」と言っていただいたので、目的は達成出来たのかなと思いました。我々に出来ることは限られていますが、我々だから出来ることもあると思うので、ゆっくりじっくりと活動を展開していくことにします。

最後になりますが、ぜひズィズィ氏の「Abuse」を聴いてみて下さい。HPから入れますので、歌詞と併せて聴くことをお薦めします。また、自分のHPに今回の模様をUPしていますので、よかったらこちらからお入り下さい。

桜の開花予想で思ったこと

桜の開花予想が発表されました。平年よりメチャクチャ早いです。地元静岡は、なんと3月18日。全国で最も早い開花だそうです。考えてみれば、あと10日ほどしかないんですよね。となると、花見に適しているのは24,25日あたりでしょうか。満開の桜の下を新一年生が入学式へ・・・という光景は、もう見ることが出来ないんでしょうか。

旅行会社に勤務していた頃は、自然現象を相手にしたツアーには、本当に泣かされました。桜と紅葉、本来は見て和むものですが、その時季になると日程変更の連絡や手配のやり直し、そして添乗の連続で、胃痛に始まりシーズンが終る頃には体がボロボロになっていました。
桜の時季に限ってご紹介すると、1月下旬ぐらいにお花見ツアーを企画し始めます。過去10年間の開花時期を調べ、その年の気候を加味して日程を組んでいきます。日帰りならばバスと食事、泊まりならば宿の手配をしていきますが、多くのツアーが殺到するので、すんなり予約が取れるという訳にはいきません。そこで、普段からあちらこちらにパイプを結んでおいて、少しでもいい条件で企画を固めていきます。

ただ問題は、相手が気候次第でヘソを曲げてしまうこと。近くなってからグンと気温が上昇したり、寒の戻りがやってくると、皮算用が大幅に狂ってしまい、そこからスッタモンダが始まるという訳です。1ヶ月前になると、その土地の気象台や旅館などへ頻繁に電話を入れ、桜の開花状況を聞きながら出発日の変更や統合をし、それに合わせてバスや食事の手配をやり直していきます。とは言え、上述のように各社が殺到するために、なかなか思うようにツアーが組めず、他県のバス会社を使ったり、食事をお弁当の積み込みに変更したり・・・。
どんな形であれ、見頃の時期に出発出来ればお客さんは大満足。混雑しようが帰りが遅くなろうが、バスを降りる時に必ず「楽しかった」と声を掛けてくれました。胃を擦りながらツアーを出し、上手くいって当たり前の商売というのは百も承知なんですが、やはり喜んでもらえると、肩からスーッと力が抜けていきます。
今頃全国の添乗員は、この開花予想を睨みながら最終調整を始め、業者はその依頼に応えるべく、四苦八苦しているのだと思います。

ただ、こういった部分は娯楽のひとコマで、遅かれ早かれいずれ桜は咲きます。季節には季節なりの「決め」があります。夏は暑く、冬は寒くなければ死活問題に関わる人たちが大勢出てきます。これも地球温暖化の影響なのでしょうが、まだまだ我々には危機感が薄いという印象が否めません。テレビ局の取材を受けた青森の除雪請負業者は、ピカピカの除雪車の横で涙をこらえていました。とても他人事とは思えませんでした。ひとつの国が、海中に沈みかけている場所もあります。環境を整えるために、自分が出来ることを確実に行わなければと感じました。

明日も青空が望めそうです。

完璧は望みませんが・・・

先週土曜日の「めぐみ音楽祭」は、自分の知らない部分の話を聴くことが出来、とても有意義なひと時でした。トータルで3時間のイベントでしたが、本編やその前後には首を傾げたくなる光景や興醒めの部分があり、少しだけ残念な思いをしたことも事実です。リッキーや自分はジャンルこそ異なりますが、イベントに関わる機会が多いので、どうしても目に付いてしまう部分が出てきてしまいます。市民団体のイベントで完璧を望んではいけないと思っています(もちろんプロのイベントでは完璧が当たり前)が、もう少し何とかならなかったのかなと、感じた点を挙げてみたいと思います。

☆使えなかった身障者用駐車場
当日はリッキーのクルマで出掛けました。この会場は駐車場からホールまで少し歩かなければならないので、身障者手帳を持参して専用のスペースに駐車させてもらおうと思っていました。案の定駐車場入口はごった返していて、係員に手帳を見せてお願いしたところ、「場所はおわかりですか?」と聞かれたので、わかりますと返答すると専用スペースの方へ誘導されました。ここまではよくある光景。
しかしその場所に行ってみると、3台分あるスペースにすでに1台駐車していて、あとのスペースは杭が差し込まれて施錠されていたんです。リッキーが抜こうとしてくれましたが、当然びくともせず。
「これじゃ意味無いよなぁ」
リッキーが珍しく怒っていました。仕方なくそのクルマの後方の、枠の無い部分に停めることにし、中へ入りました。
首からプレートを提げているスタッフに、スペースを開錠するようにお願いしようと近づいていくと、それを遮るようにリッキーが話を始めました。
「スタッフの方ですか?身障者用の駐車場が施錠されていて利用出来ないんですが、これじゃ何の意味もないと思うんですよ。至急開けてもらえませんか?」
「わかりました。ホールの方にお願いしてみますので」
でも、そのスタッフはすぐに事務室へは向かわず、相変わらず来場者の誘導を続けていました。
「ありゃダメだな、多分」
リッキーの勘は当たりました。帰る際も駐車スペースは来た時のまま。
「僕ね、2個の鍵穴の方向を覚えていたんだけど、来た時と変わってないよ」
新聞発表では1400名の来場者があったそうです。わずか3台のスペースでも少なすぎると思うのに、こういう状況下で、我々の後から利用したいと来場した人はどうしたんでしょう。

付け足しですが、入場するとスタッフが「こちらへどうぞ」と席まで案内してくれました。この日はすべて自由席だったのですが、前から5列目までは、障害者や高齢者のために枠をとっていたようで、我々も「敬老席」と表示された席に誘導されました。そのスタッフは「お若いのに申し訳ありませんが」と、ひとこと添えてくれました。
「こういうのは助かるね」
とふたりで話していた矢先、別のスタッフがやって来て
「そこは耳の聞こえない人が手話を見る席なので、別に移って下さい」
と、いきなり且つ高圧的に言われました。こんなところで議論しても始まらないと思い、後方の空いている席に移動しましたが、「敬老席」に案内されてそれは無いだろう、そして「耳の聞こえない人」と平気で言い放ってしまうスタッフの無神経さに、ただただ唖然とするばかりでした。

☆流れを把握していないMC氏
MC担当の方はプレートを提げていなかったので、スタッフなのか派遣されてきたのかはわかりません。どちらにしても、MCを担当する以上は、開演から終演までスムーズな流れを司るのが使命だと思います。そう考えると、とても残念だなぁと・・・。
40歳代ぐらいの女性で、流暢な話し方はかなり場数を踏んだ方のように見受けられました。ところが、右手にマイク、左手にはかなりの数の資料を握っていて、常にそれを見ながら話しているところを見ると、恐らく進行表や出演者のプロフィールが書かれたものではと推測します。場面が変わるごとにその資料を持ち替え、マイクに当たってガサガサとした音が会場中に響き渡ります。当然資料を探している間は、流れも一時停止状態。しらけました、ホントに。
資料を探し当てると、今度はそれを丸読み。だから、固有名詞を自身の思い込みで読んでしまうので、何の迷いも無く誤った読み方をするのです。「CRESC.&小坂真智子」でも2ヵ所ありましたし、他の出演者の出身校を「こくりつ音楽大学」と読み、すかさずリッキーが
「それ、くにたちだろ?」
と突っ込みを入れる始末。
来賓の挨拶や横田ご夫妻らを紹介している最中にも、舞台のソデで別のスタッフと資料を見ながら打ち合わせをしている様子が何度も見られ、とても見苦しい光景だと感じました。圧巻(こういう時に使うかどうかはわかりませんが)だったのは、横田ご夫妻らに記念品を手渡し、お礼を言おうとした滋さんを無視して、記念品を提供したスポンサーの紹介を始めてしまいました。早紀江さんの時も増元氏の時もです。その都度スタッフがMCに駆け寄って制止していましたが、3度目には会場が苦笑の渦に・・・。
社会的にも非常に注目が集まるイベントだけに、このMC氏には正直ガッカリしました。進行を円滑にし、出演者・来場者共に場を盛り上げなければならない重要なポジションです。いかにも「泥縄」と取られかねない「仕事ぶり」に、開いた口が塞がりませんでした。

☆自己満足
「音楽祭」ですので様々な演目があって当然だと思うし、それぞれが趣旨に賛同して出演をされているでしょう。今回の演目の中に、30年前宝塚を退団された方が出演されました。8年間トップスターだったことや、現在もディナーショー等で歌っていますとお話されていました。「魅惑のステージ」と銘打った演目の最初は、彼女の主宰するスクールの子供や大人30名ほどが出てきて、プチミュージカルを行いました。これ自体は5分ほどで終わり、「この続きは4月に観に来て下さい」という子供のひとことで、興行のインフォメーションとわかり、会場の笑いを誘いました。ここまではよかった・・・。
次に登場したのが「ベルバラ」ばりのドレスを纏った女性が2名。やはりミュージカルか?衣装を替えながら15分続きました。そして最後に本命の彼女が登場。これぞ宝塚と言わんばかりのバリバリの男装に身を包み、ピンスポを浴びて「おお宝塚」を歌いながら上手から登場しました。その後はシャンソンを4曲客席の通路を歩きながら歌い、最後は「マイウェイ」を熱唱して幕となりましたが、トータル45分間ずっと自身のこれまでの活躍を話されていました。
彼女のHPを拝見すると、確かに華やかな活躍が紹介されており、地元にミュージックスクールを開校して、後進の指導にあたっていることも記載されていました。
45分という枠は、主催者側から依頼されたのかもしれません。しかし、陶酔するまでは行かずとも、自慢話を耳にタコが出来るほど繰り返し聞かされては、たまったものではありません。趣旨を理解してそれに沿った演目を構成するのも、プロではないのかと感じました。途中からはとても拍手する気にはなれず、リッキーと腕組みをしたまま憮然としていました。
「もっと増元さんの話を聞きたかったよね」
終演後リッキーが言っていました。体力的な問題で、ご夫妻には長時間の講演は厳しいと思いますが、増元氏はまだお若いし、多くの方々と接触しながらご自身も大変勉強されているという印象を受けました。それ故、もう少し何とかならなかったのかと、残念で仕方ありません。このお三方が、揃って何度も自身の時計に目を落とし、講演時間を気にしながら話をされている姿が印象的でした。
あくまでこのイベントに足を運んでの主観的な感想です。「宝塚」を否定している訳ではなく、実際に講演と同じくらい彼女のステージを楽しみにされていた方もいらっしゃると思います。誤解の無いように、ひとことだけ付け加えておきます。

長くなってしまいましたが、わずか3時間のイベントでも、これだけ思う部分がありました。どんなイベントでも、足を運んだ全員が満足する内容というのは、なかなか難しいのかもしれません。今回のように、「音楽祭」という器の中に、最も関心のある被害者家族の現状を講演するプログラムをはめ込んだことで、どちらが「主役」だったのか趣旨がぼやけてしまったり、「身障者は二の次」という感を拭いきれない場面もありました。
これから我々もイベントが続きます。今回のことを心に留めて、ひとつひとつ丁寧に臨まなければと痛感しました。

長文読んでいただき、ありがとうございました。

めぐみ音楽祭

拉致被害者・横田めぐみさんのご両親を励ます会「めぐみ音楽祭」へ、バンドの相棒リッキー久保田共々出掛けてきました。地元の支援団体が主催し、音楽がとても好きだっためぐみさんを始め、今も消息不明の被害者の皆さんの、1日も早い救出を願って企画されたものです。
また、日頃から我々と仲良くしてもらっているプロのバンド「CRESC.&小坂真智子」(小坂さんはFM局パーソナリティー)も出演するので、久しぶりに生演奏を聴きたいという気持ちもありました。

日頃ニュース等で、拉致問題解決に向けての情報は耳に入ってきますが、断片的で詳細まで知り得ることは出来ません。講演を行いながら全国を巡っているめぐみさんのご両親、滋さん早紀江さんの訴えを、機会があれば聴いてみたいと常々考えていました。「私は、オマケで来ましたが・・・」と挨拶をした、増元るみ子さんの実弟照明さんも加わり、講演の時を待ちました。

午後1時30分開演。1200席の会場は満員で、入場出来なかった人のために、隣の多目的ホールに大型スクリーンを設置したので、そちらに移動してほしい旨のアナウンスが流れるほどでした。
まずは地元少年少女合唱隊による童謡。そして次に「CRESC.&小坂真智子」が、映画音楽のメドレーとオリジナルソングを披露しました。小坂さんとは、ラジオの番組や我々とのライブでもお世話になっていますが、いつにも増して伸び伸びと歌っていたし、CRESC.の演奏も、さすがと言った感じ。
来賓の挨拶が続き、次は「元タカラジェンヌ」という触れ込みで登場した歌手と、その門下生達のミュージカルが40分も続きました。

午後3時10分に、ようやく講演が始まりました。まず、横田滋さんが話をされました。循環器系の疾患があるため、とても小さな声でしたが、昨年1年間の活動報告と支援者へのお礼を述べました。
横田早紀江さんは、めぐみさんの幼かった頃の思い出話や、なかなか対話のテーブルに着かない北朝鮮への怒りを訴えていましたが、
「もしかしたら客席にいらっしゃるどなたかが、この舞台の上で拉致問題解決を訴えていたかもしれませんし、逆に私どもが客席でそのお話を聞いていたかもしれません。拉致はそれだけ身近な問題であり、一瞬にして家族を深い悲しみに陥れる、とても残酷な犯罪に他なりません」
と、涙ながらに話をされていたのが印象的でした。
最後に「拉致被害者家族連絡会」の事務局次長を務める増元照明さんが、連絡会を立ち上げるまでの苦労話、重い腰を上げようとしない政府の対応に、疑問を投げかけていました。
「北朝鮮との国交正常化を優先したい政府が、拉致問題に見て見ぬフリをしてきたために、事件発生から20年もそれが放置されてきました。またある政党のホームページには、つい最近まで拉致そのものが、被害者家族を名乗る団体によるでっち上げと掲載されていました。私達は外の敵よりも、まず内に存在する敵と闘わなくてはなりません。とても悲しいことです」
また、同じ被害者でも韓国は同じ民族という姿勢から、北朝鮮に対する対応は日本と比べかなり温度差があること、1994年から拉致問題に関わっている安倍首相に、全面的な支援をお願いしていることを伝えました。そして、最後に言ったひとこと・・・
「私はどんなことがあっても、日本という国を信じたい」

1時間の講演は、あっという間に終了してしまいました。お三方が、それぞれの視点から拉致問題の話をされましたが、特に増元さんは、関係する各国間の、釈然としない不透明な「綱引き」について、とても詳細な部分まで勉強されているという印象を受けました。ニュースで知った情報以上に、この問題への関心を持とうとしない自分は、軽はずみに「拉致」という言葉を使ってはいけない、と痛感しました。

終了後リッキーと楽屋へ行き、「CRESC.&小坂真智子」にお疲れ様の挨拶をしました。たまたま隣の楽屋が横田さんらだったので、記者会見を終えて出てこられた時に、それぞれにご挨拶をさせていただきました。その際早紀江さんから、
「足がご不自由なのに、お出でいただいてありがとうございます」
と、声を掛けていただきました。また、増元さんの話に感銘を受けたリッキーは、自身の勤務する大学で話をしてもらえませんかと、名刺の交換をしていました。
「それでは懇親会の方へ」と主催者に急き立てられるように、お三方は会場を後にしましたが、体調が優れない滋さんのことを考慮して、このまま帰宅させることは出来ないものかと、リッキー共々渋い表情で会場を出ました。
我々の知らないところで、被害者のご家族は肉親の安否を気遣い、救出されることを信じながら、連日地道な活動を続けています。もし、皆さんの町にこのような機会があった時は、ぜひ会場に足を運んで、家族連絡会の方々の話を聴いてほしいと思います。

途中、運営上の点からいくつか興醒めする部分がありました。それについては、明日のブログでお伝えしたいと思います。

病院の待合室

2週間ぶりのカウンセリングへ行ってきました。今日も相変わらずの診断でしたが、診察前に自分と同じ病気で来院した、30歳代の女性の患者さんと付き添いの親御さん。その母親の方と、話をする機会に恵まれました。最初、親御さんひとりで自分の隣に腰掛けてきました。
「あなた、足を診てもらってるんですか?」
「いえ、神経の病気で・・・。うつ病です」
「もう長いんですか?だいぶ軽いみたいですけど」
「普通の生活はしてますけど、まだたまに寝つきが悪い時があるし、気分が悪い時もありますよ」
「実はうちの娘が・・・」
と、親御さんが話を始めました。診察前なので、ちょっとだけ静かな気持ちでいたいとも思いましたが、今から考えると、同じ病気を持った人間に聞いてもらうことで、安心したかったのかなと。

娘さんは昨年うつ病になり、会社を退職して一人暮らしをしていた名古屋から、12月に実家に戻ってきたそうです。航空会社に勤務していたそうですが、セクハラや職場でのいじめが原因で不安定になり、会社を無断欠勤していたことから、親御さんに連絡が入って明るみになったそうです。
「マンションへ行ってみたら、カーテンを閉めたまま布団に包まって寝てたんですよ。食事もろくにしていなかったみたいで、とにかくひどい姿でした」
娘さんの姿が一向に見えなかったので聞いてみたところ、人がたくさんいる場所は苦手で、順番が来るまで車の中で待っているとのことでした。
「自分の時は発作が出て、普通の生活が出来なくなっちゃったんです。一時はもうダメかと思いました」
自分の話を聞きながら、親御さんはただ頷いていましたが、名前を呼ばれたので、そこで話は途切れました。

診察が終って待合室に戻ると、親御さんの横には伏目がちの女性が座っていました。表情は硬く、話をするでもなく、ただ一点を見つめたままでした。
「お大事にして下さい」
ご挨拶をして、自分は薬局へ向かいました。診察は今日で2度目だと言っていました。これから長い時間をかけて、治療とカウンセリングが行われるはずです。治療中の自分が言うのもおかしな話ですが、うつ病は、医師とのコミュニケーションと家族の理解・協力、そして何より本人の治そうという意志が伴わないと、回復への道のりは近くも遠くにもなります。現在うつ病患者は、全国で92万人いるそうですが、きれい事でなく、出来るだけ多くの患者さんが回復されることを望みます。我が子の回復を一心に祈る親御さんを目の当たりにして、つくづくそう思いました。
GO TOP
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。