今年もやるんだ・・・

年に1回だけの、名前だけのボランティア番組。
開始初期の頃、ライブ出演の依頼が来た時「なるべく泣けるエピソードと歌をお願いします」って言われて断った。当初からコンセプトが異様だった。


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字なんてどーだっていいのさ

(5/25 Yahoo News より)
「障害者」という言葉を「障がい者」と置き換えることには反対――。熊谷俊人・千葉市長のツイートが反響を呼んでいます。熊谷市長はどんな思いを込めたのでしょうか。

◆「障碍」は、なぜ「障害」になったのか? 表記をめぐる経緯
「障がい者」派の自治体も 近年、「障がい者」と漢字かなの交ぜ書きにする動きが増えています。自治体でも、施設案内や行政文書などで「障がい者」とするケースが相次いでいます。 2009年に表記を改めた岩手県滝沢村(現滝沢市)の担当課長は当時、朝日新聞の取材に「害の字は、妨げや災いといった否定的な意味を含む。村内の障害者団体からも意見があり、人権に配慮して変更した」と説明しています。

◆「社会との関わりの中で障害に直面」
 この問題について熊谷市長は20日、自らのツイッターで次のように語りました。
 「『障害者』とは『社会の障害』でも『身体に障害を持つ者』でも無く、『社会との関わりの中で障害に直面している者』という意味であり、私たちはその障害を一つひとつ解消していくことが求められている、と理解しています」
 「その考えから、私は『障害』を『障がい』と置き換えることには反対です。『障害』という言葉が引っかかるからこそ、それを社会的に解消しなければならないわけで、表現をソフトにすることは決してバリアフリー社会の実現に資するものではありません」


この記事を読んで武者震いしました。一番ややこしい問題を、これほど簡潔に言い切った人は過去に記憶がありません。そうなんです。「障害者」というのは体に障害がある人のことを指すものではないんです。だから、字を置き換えても何の意味もありません。自分は以前から違和感を持っていました。「害」がいつのまにか「がい」に変わり、さらにあまり見たこともない「碍」に変わりました。障害者に配慮してのことかもしれないと何となく察しはつきましたが、もしそうならばそれは世の中をひっくるめて大きな勘違いをしていることになると危惧していました。

毎年の「24時間テレビ」。次々と放送される「お祭り」と「見世物」に終始する企画こそが差別と感じています。「○○さんは、障害を持ちながらもこんなに頑張っています」。こんな企画をブチ上げて涙を誘う演出をする局側は、きっと「体に障害を持っている者」と決めつけて疑いもしないのでしょう。このイベント以外では募金活動を一切オープンにしないあたりに稚拙さが垣間見えます。

話を戻します。千葉市という限られた地域ではあるけれど、市長がこういう考え方で動いている場所がひどく羨ましく思えました。呼ばれ方がどうあれ字がどうあれ、誤った認識で対応すれば何の意味もありません。自治体や健常者のみなさんにもう一度見直していただきたいこと、そして自分たちもこのことをもっともっとアピールしていかなくてはならないと感じました。

チャリティーを考える

またやるんだなぁ、24時間テレビ。このことは何度もブログに書いているので、ほとんど犬の遠吠え状態の感があるが、毎年多くの芸能人が同じTシャツを着て「サライ」を歌う光景が何とも気持ち悪い。身障者である自分が嫌悪感を抱く。何とかならないだろうか。パラリンピックは放送しないのに、24時間だけ障害者や高齢者の周りにタレントが寄って集って感動の押し売りをする。美味しい素材は何でもネタにするメディアのことだから、広島の被災地に触手が伸びなければと心のどこかで危惧している。

そして、ここのところ俄かに話題となったALSの「氷水かぶり」。かぶるか100ドルを寄付するかを選択出来、かぶった本人は次の人を指名することで世界中に広まり、実に100億円の寄付金が集まったらしい。ただ、「氷水かぶり」はエスカレートする一方で、アーティストと称する連中はチャリティーは二の次で、ノリでやっているようなのばかりだし、他と違うことをしようとしてケガをしたり命を落とした人もいる。

チャリティーそのものは決して悪いことではない。何をするのにも資金が無いより有った方が良いに決まってる。ただ、そのやり方に問題がある。生放送中にもし事故があったらどうする? 障害者や高齢者の状態は、健常者には予測出来ない部分が多く潜んでいるし、煽られて寄付をしても後で何も心に残らないのではないかと思ってしまう。メディアが主催するのなら一時の「お祭り」ではなく、年間を通して様々な活動を行うべきだし、限った病気に対するチャリティーなら、その病気がどのようなものなのかを知った上で募金することが本当なのではないか。

結局は踏襲

先週の土曜日、3回目の装具の仮合わせをしてきた。懸念は左足のLLB。担当者曰く「やれることは全部やってきた」ということだったので、少しだけ期待を膨らませて履いてみた・・・。が、やはり後ろに倒れそうな不安定な状態で、バランスを取るために常に前かがみを強いられる。歩くどころかまともに立っていられない。膝の部分のビスを外してSLBにしても、膝カックンを防止する大きな膝当てが膝を立たせようと後ろへ押そうとするから不安定さは変わらない。ここで一旦従来の装具に履き替えて、今度は右足のSLBの仮合わせを行った。これまで靴のつま先部分を高くしていたものを外し、代わりにこちらも膝当てを付けてみたもののやはり結果は同じ。取り外しにも時間がかかり、運転する度に履き替えているので負担が増える。時間をかけてリハビリで馴染ませるとか、そういうレベルでないことは自分が一番わかっている。

前回の仮合わせから考えたこと。
①ジョイントで膝を固定すると転倒した際に力の逃げ場所が無くなり、これまで打撲で済んでいたものが脱臼や骨折という大ケガに発展しないか。
②運転をする際、いくら膝を曲げていてもLLBを付けたままの長時間ドライブに耐えられるか。

これを担当者に相談したところ、
「すでに膝の関節が痛んでるんで、将来のことを考えるとLLB付けた方がいいと思うんだけど・・・」「確かに筋肉や靭帯はボロボロだけど、骨は何でもないと整形外科の先生に言われているから、とにかく歩ける装具がほしい」
こんな話が30分ほど続き、結局従来と同じタイプの装具に決まった。すでに役所から交付券が届いていたが、医師の所見票と新たな見積もりが届いた時点で申請をし直さなくてはならない。担当者は何とも言えない表情をしていて申し訳ないと思ったが、まずは歩けることが大命題であり、今の装具が破損した時に困らないようにすることが大切。支柱にヒビが入ったりベルトが1本切れてしまっても、そこから先は一歩も進めなくなってしまうから、常に丁寧な扱いを心掛けている。

4月中旬に仮合わせの予定だが、今度はそう悩むことは無い・・・と思う。

伝わらぬもどかしさ

3年ぶりに両下肢の装具を新調することになった。当たり前だが、「ワンオフ」なのでかなり高価になる。従って特別な場合を除き、この周期でないと国から許可は下りないのだ。自分の装具は、両下肢ともSLB(Short Leg Brace=膝下装具)と靴がセットになったもの。材質は左足のSLBが主に木、革、金属の支柱、マジックベルト。右足は樹脂、カーボン、マジックベルトで、靴は両足共に革で出来ている。実績のある確かなメーカーでないと、微妙な感覚を調整することは不可能に近い。同型の装具でさえ、まったく同じ感覚で履けるようになるまでは何度も調整をする。

実は左足の筋力低下が著しく、膝を支えることが厳しくなってきたため、膝上のLLBに作り替えることになった。チタン製のジョイントで歩行する時だけ膝を固定するのだ。このタイプは13歳頃に一度使ったことがあり、手術を経てからずっと今のタイプを使ってきた。

昨年12月に型を取り2月から仮合わせを行っているが、まったくフィーリングが合わない。というよりまったくの別物なのだ。膝折れの心配をしないで立つことは出来るし重量も軽いのだが・・・歩けない。一歩が踏み出せない。恐怖感ではなく、どう歩いて良いのかがわからない。製作者は、「40年もSLBで歩いてきたから慣れれば大丈夫」と言うが、単にそれだけの理由ではないような気がする。他にもズボンに収まるのかとか、クルマの長距離運転に耐えられるのかという心配がある。結局2度の仮合わせでしっくりこなかったため、今月中にもう一度型を取り直すことにした。そして、LLBが合わなかった時はSLBにカットして、膝を補強する治具を付けることになった。

現在のメーカーとの付き合いは20年ほどで製作者も変わらない。自分の足を知り尽くしているが、同じ感覚になるまでには3~4回の仮合わせを行う。ただ、今回だけは違う。自身の足に感じないというのは初めての感覚だ。どうやれば十代の時に使っていた感覚に近づけられるのか。伝わらないもどかしさは、向こう岸の見えない大河に船を出すようなもの。いつものように接点を見出せることが出来れば良いのだが・・・。

1403101.jpg 左側が左足の装具。材質は異なるが、足首を固定する目的は同じ。

1403102.jpg 靴の部分。膝折れを防止するために靴底にゴムを貼ってつま先を高くしている。2ヶ月に一度自身で貼り替えをしている。


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